江戸の名残と軍都の痕跡ー鉄道150年と空中散歩
2022年11月27日訪問
この写真は旧新橋停車場
今日はヒロシマ講座主催のフィールドワークで新橋駅、東京駅周辺を案内していただきました。
その後自分で調べたことも含めて、ご紹介していきます。
自分で調べたことも結構入っていますので、内容についての責任は全て当サイト管理人にあります。
旧新橋停車場 google mapでこの辺
高層ビルの林の中に再建された旧新橋停車場があって、展示室旧新橋停車場 鉄道歴史展示室
もあります。
元々は龍野藩脇坂家、会津藩松平(保科)家、仙台藩伊達家の大名屋敷があり、明治に入って、その場所が鉄道用地として整備されたそうです。
そういえば、私が東京へ出てきてすぐの頃、ここ汐留遺跡の一般公開に来たことがありました。
当時はその価値もわからず、ただの東京見物の一環でしたが、今となっては貴重な景色。
(まだフィルムカメラだったので少ししか写真撮ってなかったのが残念)。
写真の向こうに朝日新聞社や東京タワーが見えてますが、ここ、今は高層ビル群ですからね。。。
そして空中散歩その1
電通本社ビル google mapでこの辺
46階まで窓のついたエレベーターで一気に上ることができます。
今日は天気が良かったので結構遠くまで見えました。
そして旧築地市場は空き地。。。
日テレ前 google mapでこの辺
ここにはひっそりとこの辺りの歴史を伝える説明看板があります。
東京駅へ移動しまして
東京駅 google mapでこの辺
まずは改札内から。
新幹線改札のすぐ近くに
そして、中央線のホームに上がる長いエスカレーターの下のところにあるレンガ壁
(黒い部分に注目)
ここはちょうど工事中で近づけなかったんですが、
丸の内北口のJR東日本トラベルサービスセンターでも同じものが見られます。
(見学や撮影する前には従業員の方に一声かけましょうね)
黒い部分を近くで見ると。。
木が焦げてるのがわかります。
これは木レンガといって、レンガの上に仕上げ材を留める時に釘などを打ち付けるためのもの(全面レンガだと釘が打てない)で、焦げている理由は1945年5月25日夜の空襲です。
大本営発表が26日の16:30にあって、翌27日の新聞に記事が出ています。
この紙面は朝日新聞の縮刷版から取ってますが、この日は5紙「共同新聞」になってます。(なぜなのかわからないので要調査です。)
東京駅にこんなのが残っているなんて驚きでした。
中央線上がるところのレンガ壁なんて、何度も見てるはずなんですが・・・
それから丸の内南口には
東京駅の外に出て、丸の内南口側(都営バスのバス停のあたり) google mapでこの辺
に「愛の像」というのがあります。
「世紀の遺書」というB,C級戦犯として刑死・獄死した人々の遺書をまとめた本が1953年(昭和28年)に出版されて、その収益金の一部を使って設置された像です。
この「世紀の遺書」(初版)は国会図書館で個人送信サービスの対象になってましたので、国会図書館の利用登録をしている方ならばインターネットで閲覧可能です。
国立国会図書館デジタルコレクション「世紀の遺書」
そして丸の内北口側には井上勝の像 google mapでこの辺
丸の内オアゾ google mapでこの辺
国鉄本社があった場所に建っているのが丸の内オアゾ
入ってすぐ左側の「OAZO OO広場」では
ピカソのゲルニカ(実寸大複製陶板)を見ることができます!
日本工業倶楽部会館 google mapでこの辺
ここの壁面には「紀元2600年」の文字が・・・
新丸の内ビルディング google mapでこの辺
建て替え前の旧丸ビル(1923年竣工)を支えていた松杭(15m)が展示されてます。
全部で5443本だったそうで、どうやって工事したんだか?
空中散歩その2
ここの35階からは国会議事堂をほぼ正面から望めます。
東京駅は何度も使っているのに、知らない場所だらけでした。
特に空襲で焼けた跡が残っていたのは印象的でした。
そして「愛の像」。
像の周りには何の説明もありませんので、今日知ることができて良かったです。
街を歩くときに『これ何?』って注意深く歩かないと、色々見落としますね。
それにピカソのゲルニカもこんな近くで見ることができるとは。。。
更新履歴
2022年11月27日 新規作成
2023年6月6日 文責追記
2024年1月2日 移行に伴う見た目調整
2024年1月5日 訪問日追記