都内の満蒙開拓慰霊碑をめぐるー府中市・東郷寺「殉難英魂碑〜青少年義勇隊東京中隊碑」
2023年3月5日訪問
「ヒロシマ講座」都内の満蒙開拓慰霊碑をめぐるフィールドワークの5回目は東京都府中市
府中市の英(はなぶさ)太郎さんに案内していただきました。
その後自分で調べたことも含めて、ご紹介していきます。
自分で調べたことも結構入っていますので、内容についての責任は全て当サイト管理人にあります。
碑があるのは
東郷寺 google mapでこの辺
東郷平八郎の別荘だったところに旧日本海軍関係者が中心になって1939年に建立されたお寺です。
立派な山門は黒澤明監督の映画「羅生門」のモデルになったと言われてるそうですが、それを裏付ける資料はなさそう 1。
(そもそもその映画見てないんですが。。。)
木村恵吾監督の「美女と盗賊」のロケ地になったのは雑誌記事にもなってました 2。
(そもそもその映画も見てないんですが。。。)
門前の枝垂れ桜は府中市の名木100選にも選ばれてるそうで、咲いてる頃は凄いと思います。
境内に入って
満洲開拓青少年義勇隊東京中隊 殉難英魂碑 google mapでこの辺
碑文
戦火の風雲急を告げる昭和二十年三月東京都出身の若人二三七名は満洲の曠野に五族共和の楽土建設のため平和戦士の誇りを胸に渡満しました
是等若人の気高い理想も終戦と共に空しく消え日夜果知らぬ異郷の山野を彷い歩き餓と疲労に力尽き遂に尊い一命を満洲の土と化したのです
此の事を永遠に伝え十五・六歳の若年で國の為に散った盟友の英魂を慰めるため景勝の霊地を選び碑を建てその冥福を祈ります
昭和三十三年五月十八日
旧満洲開拓青少年義勇隊
東京中隊生還者有志一同
お寺の奥には
枢軸國必勝祈念塔 google mapでこの辺
新しい墓地区画の中にどーんとそびえ立っています。
文字を消そうとしたがために、何て書いてあったかがよくわかる。。。
各面を見てみると。。。
そうそうたる面々の名前が彫られてるんですが、
どういう経緯でできたのか、などはよくわかりません。
完成当時の新聞記事は見つけました。
1944年1月15日朝日新聞夕刊「枢軸必勝祈念塔成る」
1944年1月16日朝日新聞朝刊「枢軸必勝祈念塔除幕」
1944年1月16日読売新聞朝刊「”撃敵の祈念塔”完成」
これらの記事によると、
この塔は日独伊親善協会が建設し、
1944年1月15日の午後に除幕式があって、安保海軍大将、大木憲兵司令官、枢軸国の大使など二百余名(読売記事だと百余名)が参加したようです。
次に向かったのは
白糸台掩体壕 google mapでこの辺
ここは調布飛行場のすぐ近くで、
掩体壕というのは残り少ない戦闘機を空襲から守り、隠すための施設です。
調布飛行場自体は1938年から土地買収を開始し、1941年4月に完成。
最初は官民共同の飛行場として設置されたものの、1941年8月からは軍専用になります。
1944年6月頃から掩体壕の建設が始まったそうです3。
1945年1月に撮影された調布飛行場の航空写真と案内板の地図を並べると、
航空写真の赤丸の場所が、ここであることがわかります。
(当時はまだ旧甲州街道しかない)
裏から見ると
この後、府中市市民活動センターで開かれていた「東京空襲資料展」を見学しました。
ここには
2021年の4月に府中市内の蔵で見つかった百式司令部偵察機の水平尾翼が展示されていました。
最近、慰霊碑を見に行くことが増えていますが、
顕彰(功績を称える)、慰霊(霊を慰める)、そして継承(記憶を伝える)
について考えちゃいます。
更新履歴
2023年5月7日 新規作成
2023年6月6日 文責追記
2024年1月2日 移行に伴う見た目調整
2024年1月5日 訪問日追記
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レファレンス協同データベース「府中市東郷寺の山門は黒澤明監督の映画「羅生門」のモデルになったといわれているが、それが確認できる資料はあるか。」 ↩︎
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「“羅生門”に次いで平安末期の偸盜を描く 美女と盜賊 多摩東郷寺ロケ記/p47~47」『新映画』9(10),映画出版社,1952-10. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/7950614 ↩︎
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山本豊 [著]多摩地区の軍事化と調布飛行場の歴史 改訂版,2018.11(未デジタル化) https://id.ndl.go.jp/bib/029299621 ↩︎