都内の満蒙開拓慰霊碑をめぐるー調布市・延浄寺「不忘の碑」
2023年4月02日訪問
「ヒロシマ講座」都内の満蒙開拓慰霊碑をめぐるシリーズ
調布市・延浄寺で開かれた鈴木則子さんを偲ぶ会に行ってきました。
内容についての責任は全て当サイト管理人にあります。
碑があるのは
延浄寺 google mapでこの辺
門を入って目の前の一番目立つ所にあるのが「不忘(わすれず)の碑」です。
碑文は
一九三〇 ー 四〇年代、「満蒙開拓」の国策によって、「東洋平和のため、王道楽土を築くため」を名目に、「お国のために、天皇陛下のために」と、「満州」(中国東北地方)に送り込まれた人たちがいた。
しかし、一九四五年日本敗戦時の混乱の中、置き去りにされ、多数の死者を出す過酷な逃避行を強いられた。
中国人に救われて死を免れた人たちも、帰国の道を閉ざされ、国に見棄てられたまま、長い歳月が流れた。
碑文の鈴木則子(一九二八年生)もその一人。
鈴木がようやく帰国できたのは、戦後すでに三三年を経た一九七八年。四年後、中国帰国者の会を起こす。「中国残留夫人・残留孤児」らの帰国の援助、帰国後の生活相談・日本語教室・行政への働きかけ等々の活動を展開。国家賠償を求めて提訴も。
鈴木則子さんは言います。
「私たちのような、”中国残留夫人・残留孤児”などと呼ばれる存在は、二度と、生み出されてはなりません。もう決して、このようなことがくり返されないために、私たちの体験・事実を伝えたい」と。
そして「知ってほしいのは、悲惨な体験をしたことだけでなく、権力に対して疑問や批判をもたない危なさ・怖さです」と訴えます。
「騙されないように、流されないように」との鈴木さんの呼びかけは、時代を超える大事なメッセージです。
この歴史的体験を忘れず、ふたたび同じ道を歩まぬための、私たちみんなの<道しるべ>にすべく、此処に、不忘(わすれず)の碑は立っています。(建立者・赤塚頌子)
碑の裏面には
前事之不忘、後事之師也
前の経験を忘れず
後の教えとする
そして、碑の中心に刻まれているのが
國に従って
国に棄てられた人びとを
忘れず
ふたたび
同じ道を歩まぬための
道しるべに中国帰国者の会 鈴木則子
一九二八年〜二〇一一年
「國」と「国」の違いは「大日本帝國」と「日本国」ですよね。
2つの”くに”に棄てられた鈴木則子さんは、ずっと「自分たちは被害者でもあり加害者でもある」とも言い続けておられたそうです。
偲ぶ会では参加された方々がそれぞれの思いを語られました。
鈴木則子さんについては、東京新聞社説で取り上げられていました。
東京新聞2022年8月28日<社説>週のはじめに考える 残留婦人なぜ生まれた
それと、書かれた文章のうち国立国会図書館の個人送信で読むことができるものとして
「中国残留婦人は、再び見捨てられようとしている」(『自由と正義』40(10)p.9)1
があります。
更新履歴
2023年5月8日 新規作成
2023年6月6日 文責追記
2024年1月2日 移行に伴う見た目調整
2024年1月5日 訪問日追記
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『自由と正義』40(10),日本弁護士連合会,1989-10. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2724681 ↩︎