江戸の名残と軍都の痕跡ー駒場兵隊屋敷跡から代々木上原へ
2023年4月16日訪問
「ヒロシマ講座」江戸の名残と軍都の痕跡をたどって東京を歩く フィールドワーク第2期の5回目
東海林次男さんの案内で駒場近辺をめぐりました。
この日は途中でゲリラ豪雨(?)に襲われたりして大変だったのですが、
私のカメラも何やら不調でほとんどの写真が吹っ飛んでしまってました(泣)ので、ここで紹介する写真は全て4月29日に再訪した時のものです。再訪した日は天気良くて日焼けしちゃいました。。。
その後自分で調べたことも含めて、ご紹介していきます。
自分で調べたことも結構入っていますので、内容についての責任は全て当サイト管理人にあります。
まずはこの辺りの地図
1931年発行の地図で赤枠で囲ったところには西から騎兵第一連隊、近衛輜重(しちょう)重大隊、輜重第一大隊と並んでいて、「駒場兵隊屋敷」と呼ばれていたそうです。北側には駒場練兵場、獣医学校もあります。
最初は
「陸軍省所轄地」標柱 google mapでこの辺
駒繋ぎ石柱 google mapでこの辺
柵の向こう側に馬を繋ぎ止めるための石柱が複数連なっています。
今は都立駒場高校のテニスコートになっている谷を挟んだ向こう側に
天覧台 google mapでこの辺
由来記
記念碑天覧台は 明治天皇親しく此の台上より陸軍乗馬学校=後の陸軍騎兵学校=卒業馬術を明治二十五年=一八九二年=天覧なされてより延十一回 大正天皇におかせられても四回行幸なされた御聖徳を偲び昭和三年十一月十四日陸軍輜重兵第一大隊が建立したものである 以来部隊の象徴として日夜心身の鍛錬に努めていたが昭和二十年八月復員発令に伴ない題字及び碑文を抹消放置したまま三十有余年を閲した 此の碑を心の糧として軍の捕球輸送に任じ祖国の平和を祈り異郷に散華された数多将兵の忠誠を顕彰し併せて陸軍輜重兵第一聨隊及び関連部隊の栄誉を永遠に伝えるため戦友相寄り相計ると共に明治神宮宮司高澤信一郎先生の題字復元を得て修理を完成した
昭和五十六年十一月十四日
天覧台保存会
南朝祇園小山城小山若犬丸公後裔
祇書 英治
屋内射撃場跡地 google mapでこの辺
今は駐車場
フィールドワーク当日はここで激しい雨(雹も)に降られてしまいましたが、
再訪時は良い天気・・・
建物は2015年頃に壊されたみたいですが、その前後の航空写真を見るとよくわかります(中心部)。
「馬神」碑 google mapでこの辺
急カーブの先
陸軍獣医学校跡 google mapでこの辺
現在の駒場学園高等学校
過ぐる対戦において
多くの俊馬が大陸に
また南方に徴発され
一頭も帰還することなく
彼の地に没した
人為による無謀とはいえ
そのいたみを忘れぬ
ことこそ 我らの
勤めである
軍馬と因縁浅からぬ
この地に小碑を建立し
永遠にその霊を慰める平成二年五月一日
駒場学園高等学校
校長 笠原 喜四郎
すぐ近くに
「陸軍省所・・」標柱 google mapでこの辺
次に向かうは
日本民藝館 google mapでこの辺
日本民藝館HP の沿革より
日本民藝館は、「民藝」という新しい美の概念の普及と「美の生活化」を目指す民藝運動の本拠として、1926年に思想家の柳宗悦(1889-1961)らにより企画され、実業家で社会事業家の大原孫三郎をはじめとする多くの賛同者の援助を得て、1936年に開設された。
案内の東海林さんが紹介してくださったのが
柳宗悦が1922年に発表した「失われんとする一朝鮮建築の為に」
これは朝鮮総督府の新庁舎建設に際して壊されることになった光化門の保護を訴える文章です。
青空文庫で全文読むことができます。
青空文庫「民藝四十年」柳宗悦 失われんとする一朝鮮建築のために
この文章、発表時には一部が伏字にされたそうです。
先の青空文庫と比較すると、何が伏字にされたかわかります。
それと、東京大学大学院の連続講座で日本民藝館の杉山享司さんが話した内容がまとめられていましたので、これも紹介します。(リンク先に「講座内容詳細」としてPDFファイルへのリンク)
東京大学大学院 総合文化研究科 グローバル地域研究機構 韓国学研究センターHP 第10回 連続講座・日韓の「歴史問題」の論点を探る 柳宗悦と朝鮮工芸をめぐって 2022年12月16日 杉山享司 日本民藝館常務理事
次は
駒場公園(旧前田家本邸) google mapでこの辺
洋館
庭にはぐるっと桜が植えてあるので、春はすごいはず。
外にあるトイレの前には昔の航空写真があって、その先には和館があります。
最後に行ったのが
東京ジャーミィ google mapでこの辺
ここの写真だけ、4月16日当日にカメラではなくスマホで撮影したので生き残ってました。
東京ジャーミィHP
の歴史より
ロシア革命を逃れ、日本へ避難して来たカザン州のトルコ人たちの礼拝所を求める動きが、日本政府の協力によって結実したのが1938年(昭和13年)に竣工する東京回教礼拝堂です。この礼拝所は、その後、半世紀以上にわたり在日のイスラーム教徒たちの心の拠り所となってきましたが、老朽化により1986年に取り壊され2000年に東京ジャーミイ・ディヤーナトトルコ文化センターとして生まれ変わり、現在に至っています。
最後に今日訪問した場所をもう一度おさらい。
更新履歴
2023年5月7日 新規作成
2023年6月6日 文責追記
2024年1月2日 移行に伴う見た目調整
2024年1月5日 訪問日追記