虐殺100年の現在地ー埼玉県常泉寺

「ヒロシマ講座」虐殺100年の現在地〜歩いて考える関東大震災 フィールドワークの2回目
日朝協会埼玉県連合会会長の関原正裕さんに案内していただきました。
今回はまず現場を見てから、お話を伺うスタイル。

常泉寺  google mapでこの辺


ここには原爆に関連したものもあります。
ひこじぞう  google mapでこの辺


平和のためのひこじぞう

とりひとりの
どもたちに 笑顔あふれる平和な
だいを 今ここから
おじぞうさんに ねがいをこめて

1945年8月、広島・長崎の「きのこ雲」の下で被ばくした子どもたちを供養し、平和な世界を願って「ひこじぞう」を建立します。

2004年8月「ひこじぞう」建立実行委員会

東友会の新聞「東友」2004年9月号に記事が出ていました。
「被爆死した子どもの供養へ「ひこじぞう」建立」

広島で16歳の時に被爆してのちに小学校の教師になった田川時彦さん教え子たちが作った、田川さんの名前にちなんだお地蔵様です。
国会図書館のデジタルコレクションで読むことができる文章がいくつかありました。
例えば、「教育の現場からみた原爆」(『原爆から原発まで : 核セミナーの記録』上 p.292)1
講演録なんですが、この中で子どもたちに戦争の話をした後の反応について

後にいくほど、私はたいへん問題を感じるわけです。自分でなくてよかった、かわいそうと言うのは、下手をすると傍観者的立場に、ますます立ってゆくだろうし、悲惨な人を見ても、自分でなくてよかったかわいそうだと思うけど自分でなくてよかった、ある意味では差別感情につながる危険もある。したがって教育の問題として大きな問題をはらんでいると、私は受け取っている。まして今は平和でいいと言う事が、今の日本の中で世界の中でそういう事が事実として正しいかどうかの問題があるだろう。(p.297)

と語っておられて、なるほど、と思いました。

そして 広島・長崎原爆の火  google mapでこの辺




「常泉寺「広島・長崎の火」のいわれ

 一九四五年八月、第二次世界大戦は最後に核戦争となり、広島と長崎は人類史上最初の犠牲になりました。一瞬にして二十万人近くの生命が奪われ、今なお放射能で多くの人が苦しんでいます。
 福岡県星野村の山本達雄さんは、軍人として広島市内に入り被爆しました。同時に、書店を経営していた叔父さんを探しましたが、消息はわからず、焼け跡の地下の書庫にくすぶっていた火を形見の火として懐炉に移し、故郷の星野村に持ち帰り、広島を地獄におとしいれた恨みの火、怒りの火として灯してきました。この「広島の火」は、村長の提案により後に、核兵器のない平和な世界を呼びかける火、日本国憲法の心の火として星野村に灯されています。
 一九八八年、「広島の火」は、長崎の原爆瓦から採火された「長崎の火」と合わされて、全国を巡る平和行進の先頭に掲げられ、ヒロシマ・ナガサキアピール署名とともに、弟三回国連軍縮特別総会に届けられました。埼玉県にきた「長崎の火」は、新潟県長岡を行進中にもらい受けた「広島の火」と合火して県内を行進しました。その後、原水爆禁止埼玉県協議会の依頼で、常泉寺の小山元一住職が灯し続け、毎年「広島・長崎の火」を囲むつどいが開催されています。
 この火を永遠に灯して、核兵器と戦争をなくす被爆者と日本国民の願いを語り広げるため、この地に「広島・長峰の火」モニュメントを建設しました。

二〇〇七年九月二日
さいたま・常泉寺「広島・長崎の火」モニュメントをつくる会

私、東京都内の平和の灯を全部巡ったことがあります。
「平和の灯」巡り 東京編
また、山本達雄さんのお話についても記事を書いておりますので、よかったらどうぞ。
「平和の灯」はどこから来たのか?

そして、『虐殺100年の現在地』という今回のメインテーマ
姜大興(カンデフン)さんのお墓  google mapでこの辺



関東大震災時、片柳村で殺された朝鮮人姜大興(カンデフン)さんを供養するために当時の染谷の人が建てたお墓です。
大正12年9月4日というのは姜大興さんが殺された日。
お墓の場所はこれまでに何度か移動しており、下の追悼碑は2001年に常泉寺のご住職が作ったものだそうです。

関原さんの説明によれば
戦前に日本人が立てた関東大震災時の朝鮮人犠牲者の追悼碑やお墓は10箇所あり、そのうち名前が刻まれているのは3箇所のみ。ここはそのうちの一つで、名前を入れることで無縁仏にならなくなるという効果もあったはず、とのこと。
また当時は差別的な「鮮人」という言葉が一般的だったにも関わらず、「朝鮮人」と書いてあるのはとても貴重。

近くの
八雲神社  google mapでこの辺


ここには、今回の話のキーパーソンである高橋吉三郎さんに関係する石碑が立っています。

篤志記念

染谷區村道敷砂利費寄附
金五百圓也

当字
大正十四年一月 髙橋 吉三郎殿

吉田正治書

当時道路を作る際の砂利の費用としてお金を寄付したのが高橋吉三郎さん。
関東大震災当時は染谷区長を務めていた方で、
先ほどの姜大興さんのお墓を作った中心人物でもあります。
お孫さんである高橋隆亮さんが出ている新聞記事があります。
東京新聞2020年9月5日「差別、偏見が生んだ悲劇 関東大震災 朝鮮人虐殺事件 見沼区で姜大興さん追悼会」
このお孫さんへのインタビューをブログ記事にされている方もいましたので、こちらも
暖かさと希望を届けたい 2016年12月13日「祖父、父から今に受け継ぐ朝鮮人殺害の歴史を聞く」

そして、
片柳コミュニティセンター  google mapでこの辺


ここは崖みたいになっていて、コミュニティセンターがあるところは当時は畑。
姜大興さんは西側から逃げてきて、この場所で殺されたと思われます。
(1926年発行)[今昔マップ on the web](https://ktgis.net/kjmapw/index.html)より作成
(1926年発行)今昔マップ on the webより作成

ここで関原さんから詳しいお話を伺いました。
詳しくは関原さんが書かれているコラム
埼玉県労働組合連合会HP コラム「第9回 : 片柳村で虐殺された朝鮮人犠牲者、姜大興の墓」
あるいは
関原さんの博士論文(退職後に大学院に入学して書き上げたものだそうです。すごい。。)
一橋大学2021年度博士論文「関東大震災時の朝鮮人虐殺における国家と地域 : 日本人民衆の加害責任を見すえて」

さらに「大宮市史 別巻 1 (補遺・年表)」2には「関東大震災における大宮の朝鮮人殺害事件」として
 1 虐殺報道の解禁
 2 流言蜚語の発生とその背景
 3 戒厳令の発布
 4 埼玉における朝鮮人殺害事件
 5 大宮における朝鮮人殺害事件
と25ページの記述があります。

被災地から少し離れた埼玉での朝鮮人虐殺事件の背景には、9月2日付の埼玉県内務部長による通知があった、というのが関原さんの指摘です。「流言蜚語を真実として警戒を命じた通知」を信じた自警団員が姜大興さんを殺してしまいました。

多分、自警団の人たちは「ふつう」の人たちで、普段ならば人を殺すなんて思いもしない人たちだったんだと思います。
そして恐らく「自分は正しいことをしている」と考えていたんじゃないでしょうか。

そして現在。
地下鉄サリン事件の後に「オウム真理教の信者」というだけで移転する先々で地元の反対にさらされるようなことが起き、
コロナでクラスターが発生した学校に対して「日本から出ていけ」みたいな電話が殺到する。
やってる人たちはやはり「ふつう」の人たちで、「自分は正しいことをしている」と考えている。

「自分は正しいことをしている」
って結構怖いですよね。
しかもそこに差別意識が入るともっと怖い(さらに言えば、差別してる方はそれが差別だって気づいてなかったりする・・・)
私自身、大丈夫だろうか?って考えちゃいます。

更新履歴

2023年5月7日 新規作成


  1. 原爆体験を伝える会 編『原爆から原発まで : 核セミナーの記録』上,アグネ,1975. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/12026065 ↩︎

  2. 『大宮市史』別巻 1 (補遺・年表),大宮市,1985.3. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2989711 ↩︎