相模湖フィールドワーク
2023年7月31日訪問
相模湖
私にとってはすごーく昔に高尾山から相模湖側に下山してきたことあるなぁ・・・
程度の認識だったのですが、
相模ダム(神奈川県HPより)
情けないことながら、人造湖であることすら知りませんでした。
1941年に工事着手、戦争中に工事が進められ、戦後の1947年に完成しています。
工事に従事したのは
日本人以外に、強制連行で連れてこられた朝鮮人、中国人捕虜など延べ三百数十万人。
そして、少なくとも83人の方が殉職しているそうです。
1979年から毎年7月末に「相模湖・ダム建設殉職者合同追悼祭」が開催されています。
今回はフィールドワークで見た場所と、参加した追悼祭について簡単にご報告。
時は
2022年7月31日 天気:晴れ(酷暑・・)
まず相模湖駅から相模ダムへ向かいます。
相模ダムを渡る手前 google mapでこの辺
階段を登ったあたりが資材置き場だったそう。
階段の横の崖にはコンクリートを流した穴が残っているそうですが、
草が茂っていてほとんど見えません。
かなり急な崖です。
相模ダムを渡って、
相模湖大橋の方へ向かう途中 google mapでこの辺
1962年に再建された慰霊塔があります。
お寺の記録などを元にして亡くなった方の名前を刻んでありますが、
勤労学徒、強制連行で亡くなった中国人の名前はありません。
説明板はないので、ここに来てもこの慰霊塔の経緯を知ることはできません。
相模湖大橋を渡り、
相模湖公園を抜けて、湖沿いの細い道を進んだところに google mapでこの辺
相模湖八景の一つ「御供岩」がありますが、
そこから見える「アトリエヨシノ」の建物あたりが、
「目黒錬成道場」という勤労学徒の宿舎だった場所
相模湖公園に戻ると、球体の碑があるんですが、 google mapでこの辺
これが「湖銘碑」
日本語、中国語、ハングルで碑文が刻んであります。
そして亡くなった83名の方の名前も刻んであります。
日本語と英語の説明板があるんですが、
2020年夏にこの説明板の
『当時植民地であった朝鮮半島から国の方策によって連れてこられた方々』
という部分に引っ掻き傷のようなものがつけられていたことがあったようです。
(今は修復済)
当時の神奈川新聞記事はこちら(無料だと一部のみ)
「国の方策によって連れてこられた」
という表現でも、ごまかしてると思いますが、
それでも気に食わない人がいるということですね。
記事によれば、傷つけられているのを見つけたのは朝鮮学校の生徒さんだったみたいですが、
それまでの間に誰かが気づいていても無視していたのか、
あるいはこの説明板自体に誰も関心を持ってなかったのか・・・
こうやって傷つける人がいなくなることはないんでしょうけど、
傷つけられていることに気づいて声を上げる人が増えないといけないんでしょうね。
とはいえ、今の教育だときっと無理。(例えば「教育と愛国」
参照)
いろーんな話に共通しますが、
『知らない』ことには、関心を持つことすらできないので、
まず知ってもらうことが必要だと思います。
(ま、私自身、相模湖の話はごく最近まで知らなかったんですけどね)
『知らない』人たちに伝える方法っていうと・・・
テレビ・ラジオ・新聞は今でも大きな力を持ってると思いますが、
そんなメディアは私持ってない。
インターネットは見たいことしか見ないメディアだと考えているので、
ネットでの発信はこの目的には向いてない。
そうなってくると、路上で語ることくらいしか思いつかないんですが、
その影響力たるや、”ほぼ”ゼロ。
うーむ。
試行錯誤は続きますね。
この日の最後は、相模湖交流センター google mapでこの辺
に移動。
このあたりは強制連行で連れてこられた朝鮮人収容所のあった場所だそうです。
交流センター内の「ともしび喫茶 青林檎」で昼食。
午後、ここで開かれた第44回 相模湖・ダム建設殉職者合同追悼会 に参加しました。
最後の漢代袖舞と中国獅子舞は、短い時間でしたが良かった。
獅子に頭をパクパクしてもらえたんで、ご利益あるかな?
更新履歴
2022年8月2日 新規作成
2024年1月2日 移行に伴う見た目調整
2024年1月5日 訪問日追記