東京にある原爆資料館の話
最近、「核抑止」「核共有」という単語を耳にすることが多くなってますが、
「核抑止」にせよ「核共有」にせよ、それは『こちらも核兵器を使うぞ』という宣言です。
日本は核戦争を経験しています。
ですから、日本語で読むことのできる情報はたーくさんあります。
広島、長崎には国内旅行として行くことができます。
加えて、東京にも原爆資料館があるんだよ、というのが今回のお話。
ちょっとしたご縁で、その東京にある原爆資料館のホームページリニューアルをお手伝いしまして、
今年の1月に公開してましたので、少し(?)遅くなりましたが、宣伝です。
詳しくはこのホームページをご覧ください。
以上。
だと寂しいので、 個人的な感想などつらつらと書いてみます。
実際にここへ行くと、
「資料館」という名前から想像されるイメージとはちょっと違うかもしれません。
下の写真の背中側にも本棚があって、本がぎっしり詰まってます。
雑然としていますが(・・・関係者の方、すみません)、
ここに置いてあるものってすごいんです。
リニューアルしたホームページは、
元々あったホームページやリーフレットの内容をほぼ踏襲しましたが、
新しく
ヒロシマ・ナガサキを知る
ヒロシマ・ナガサキを感じる
ヒロシマ・ナガサキに触れる
という3つのカテゴリー分けをしました。
『知る』というのは蔵書のことです。
国会図書館でも見ることができないような資料(各地からの修学旅行の記録集など)がたくさん。
これを発掘してるだけであっという間に時間が過ぎてしまいます。
『感じる』というのは芸術作品です。
本の山に埋もれている部分もありますが、
経緯などを伺うと、色々な思いのこもった作品たちです。
そして『触れる』
昔の話を聞いていて、
「これがその時の実物です」
って当時の実物を見せられると、それが錆びた鉄の塊であっても、
途端に昔の話が現実感を持って感じられることがあります。
実物の持つ力って大きいと思うんですよね。
実際、私が実物の焼夷弾を持って山手線1周した時
にも、実物を出すと皆さん反応していました。
この資料館では、原爆瓦や高熱で溶けてくっついてしまった皿を実際に手にすることができます。
こんな高熱に生身の人間がさらされた、という現実に触れられます。
広島の資料館でも手に持つことはできないと思いますんで、貴重です。
そして、血まみれの学生服。
被爆当時14歳だった豊嶋長生(とよしまたけお)くんの遺品です。
詳しくはホームページ「豊嶋長生くんのこと」
をご覧ください。
本当に間近で見ることできます。
長生くんが亡くなった後、お母さんがこの学生服を補修して大事に保管していたそうです。
そのお母さんの気持ちを考え、
突然人生を断たれた長生くんのことを考え、
そして長生くんのように突然人生を絶たれた多くの人たちのことを考えると、
なんともやりきれない気分になります。
貸し出しもされていて、各地の平和展などに出張していることもあるようなので、
実際に見たいという方は事前に確認してから行くことをお勧めします。
この資料館、民間の有志の方による運営です。
これだけの資料を管理するにはお金も時間もかかっているはずです。
貴重な資料を永続的に生かし続けるためには民間の力では限界があると思います。
ただ、公的機関が管理するとなると、
歴史認識の問題がむくむくと頭をもたげてきそうな気もします。
『図書館の自由に関する宣言』
みたいなものが資料館や博物館にはないんでしょうか?
その上で公的機関が人類の宝として保管・活用していくのが理想だし、
税金はそういうところに使って欲しいんですが・・・無理、なのかなぁ。
下の写真は、豊嶋くんが通っていた県立広島二中の慰霊碑です。
場所はこちら(GoogleMap)
豊嶋くんたちが建物疎開の作業中に被爆した場所へこの慰霊碑は立っています。
碑には
戦災並に原爆にて死殃された、
元広島二中職員生徒352名のなつかしい名簿を此の碑の裏面に記し、
永久の思ひ出と慰霊のよすがと致したいと思ひます。
昭和36年8月6日 遺族一同
と書かれています。
そして裏には名前が刻んであり、
豊嶋長生くんの名前も刻まれています。
私自身、まだまだ知らないことがいっぱいありますが、
少なくとも言えるのは、核兵器は世代を超えて影響し続ける無差別大量殺戮兵器であるということ。
核戦争を経験している日本が
「核抑止」や「核共有」で『こちらも核兵器を使うぞ』と宣言するなんてあり得ない
・・・はずなんだけどなぁ。
仮に核兵器を打ち込まれたとしても、こちらは使っちゃいけない。
私は核兵器ってそういう物だと思います。
追記)
新ページ、今のところなかなか検索結果に出てきません。
SEO対策難しい。。。
更新履歴
2022年4月3日 新規作成
2024年1月2日 移行に伴う見た目調整