「平和の灯」巡り 東京編
火が燃え続けているモニュメントって見たことありませんか?
そんなモニュメントの中には、平和を祈る「火」が燃え続けているものもあります。
そんな東京都内の「平和の灯」を巡ってみました。
東京新聞2020年7月25日電子版 「原爆の火」上野から福島に移設へ 「核」の惨禍でつながる
で『関東の主な「原爆の火」』として紹介されていた場所を巡ってきました。
なお、この平和の灯のルーツについては別な記事 にまとめています。
東京都内の「平和の灯」
点灯の古いもの順
- 新宿区役所本庁舎正面玄関前
- JR大井町駅駅前広場
- 世田谷公園
- 国分寺市役所
- 板橋平和公園
- 板橋区役所本庁舎内
- 芝公園
- <番外>上野東照宮 (現在は別な場所へ移動しています)
おまけとして、
それぞれの場所ができた時、当時の新聞にどう紹介されたのか?
朝日新聞、毎日新聞、読売新聞の記事検索データベースで検索した結果もまとめておきます。
原則、点灯日を含む月でその地名(”新宿区役所”とか)を含む記事を検索した結果です。
新宿区役所本庁舎正面玄関前
名称
平和の灯(ひ)
住所
東京都新宿区歌舞伎町1丁目4−1
新宿区役所本庁舎正面玄関前
GoogleMap
https://goo.gl/maps/LLzFzELZHi85tUuf8
点灯日
1988年7月30日
灯されている火
広島市平和記念公園「平和の灯」
長崎爆心地公園「誓いの火」
新聞記事
朝日:8/11朝刊(東京)東京・新宿区役所に「平和の灯」ガス灯で平和訴える
毎日:なし
読売:7/30夕刊(社会)新宿区役所正面の壁に、核兵器廃絶祈る「平和の灯」設置
写真撮影:2021/07/31
説明版の説明文
平和の灯
新宿区は、核兵器の廃絶と世界の恒久平和を祈念し、この「平和の灯」を設置しました。
ここに灯されている「火」は、戦争によって犠牲になった人々の冥福を祈って設置された広島市平和記念公園内にある「平和の灯」と長崎市平和公園内にある「誓いの火」をあわせたものです。
この「火」を通じて、戦争の悲惨さと平和の尊さを次の世代に伝えていただければ幸いです。
昭和63年7月 新宿区
JR大井町駅駅前広場
名称
誓いの灯
住所
東京都品川区大井1丁目
JR大井町駅駅前広場「平和の誓い」像
GoogleMap
https://goo.gl/maps/USKSABXMmxs7eU6Q6
点灯日
1990年8月4日
灯されている火
広島市平和記念公園「平和の灯」
長崎爆心地公園「誓いの火」
新聞記事
朝日:8/5朝刊(東京)駅前広場に「誓いの灯」非核平和都市宣言5周年の東京・品川区
毎日:なし
読売:なし
写真撮影:2021/07/31
説明版の説明文
誓いの灯
この灯火は広島市平和記念公園にある「平和の灯」と長崎爆心地公園にある「誓いの火」から分火し、合火して、ともしています。
非核平和都市品川宣言の趣旨を受け、核兵器の廃絶と世界の恒久平和を目指す、品川区民の決意をあらわしたものです。
平成2年8月品川区
ここは周りが花壇になっています。
見に行った日、カンナの花が綺麗に咲いてました。
世田谷公園
名称
平和の灯
住所
東京都世田谷区池尻1丁目5−27
世田谷公園
GoogleMap
https://goo.gl/maps/vhihuSPxGhunZTVQ6
点灯日
1990年8月7日
灯されている火
広島市平和記念公園「平和の灯」
長崎爆心地公園「誓いの火」
区内に保存されていた福岡県星野村「平和の火」
区内に保存されていた広島「平和の灯」
平成2年区民祭りの「火起こし体験」の火
ピースラン'91で運ばれた火
新聞記事
朝日:8/8朝刊(東京)平和のモニュメント除幕式 東京・世田谷区
毎日:なし
読売:8/8朝刊(都民)平和への誓い新た モニュメント「平和の灯」の除幕式/東京・世田谷公園
写真撮影:2021/07/31
説明版の説明文
平和の灯
このモニュメントは、世田谷区が昭和60年8月15日「平和都市宣言」を行ってから5周年を記念して設置したものです。
この灯には、広島市の「平和の灯」と長崎市の「誓いの火」とともに、平和への願いを込めて合火したいという区民や団体の火も合わせて点火いたしました。
制作者は、区内在住の彫刻家 向井良吉氏です。
平成2年8月
世田谷公園内には区立の平和資料館
があります。
一部を除いて写真撮影も可能です。
この世田谷公園のあった場所は元々陸軍の駒沢練兵場だったこともあって、訓練計画書なども展示してありました。
その他、軍隊や庶民の生活、原爆や沖縄についての展示もあります。
(ただ、日本の加害についてはほぼ何も触れてなかったと思います。。。)
国分寺市役所
名称
平和の灯
住所
東京都国分寺市戸倉1丁目
国分寺市役所第二庁舎(駐車場側)
GoogleMap
https://goo.gl/maps/Kg5ePzXSUhAt6fFc8
点灯日
1990年8月15日
灯されている火
広島市平和記念公園「平和の灯」
新聞記事
朝日:8/16朝刊(東京)国分寺市に「平和の灯」
毎日:なし
読売:8/16朝刊(社会)終戦記念日の15日、東京・国分寺市役所のモニュメントに平和の灯
写真撮影:2021/08/01
説明版の説明文
平和の灯の由来
この灯は、国分寺市非核平和都市宣言の精神を受け、世界恒久平和の実現を目指す国分寺市民の決意を表したものです。灯されている「灯」は、広島市の平和の灯から分火し、柱に埋め込まれた瓦は長崎市から寄贈を受けたものです。勝坂式土器は、国分寺市の永い歴史を表し、この年月が平和な未来へつながって欲しいという願いをこめています。国分寺市を訪れる方々が、平和の灯の由来を次の世代に語り継いでいただければ幸いです。
平成2年8月15日 国分寺市
説明文にもある通り、長崎の被爆瓦が展示してあります。
板橋平和公園
名称
平和の灯(ひ)
住所
東京都板橋区常盤台4丁目3−1
板橋平和公園
GoogleMap
https://goo.gl/maps/vWDM7GuD9LPreVNHA
点灯日
1992年3月27日
灯されている火
広島市平和記念公園「平和の灯」
長崎爆心地公園「誓いの火」
新聞記事
朝日:3/28朝刊(東京)「平和の灯」モニュメント完成、点火 東京・板橋
毎日:なし
読売:3/28朝刊(都民)「平和の灯」モニュメント完成/東京・板橋
写真撮影:2021/08/01
説明版の説明文
「平和の灯」
板橋区は、核兵器の廃絶と
世界の恒久平和を願って
平和の灯を設置しました
ここに灯されている火は 戦争によって
尊い犠牲となられた人々の冥福を祈り
世界平和の実現のため設置された
広島市平和記念公園内の平和の灯と
長崎市平和公園内の誓いの火とを
合わせたものです
この平和の灯を永遠に灯し続け
戦争の惨禍と平和の尊さを
後世に伝えてまいります
平成4年3月27日 板橋区
この種火が次の板橋区役所内にあります。
板橋区役所本庁舎内
名称
平和の灯(ひ)
住所
東京都板橋区板橋2丁目66−1
板橋区役所本庁舎内
GoogleMap
https://goo.gl/maps/GVvovnvPPufqbmYA7
点灯日
1992年3月27日
灯されている火
広島市平和記念公園「平和の灯」
長崎爆心地公園「誓いの火」
写真撮影:2021/08/10
説明版の説明文
平和の灯
この灯は 板橋区が核兵器の廃絶と世界の恒久平和を願って 板橋区平和公園内(常盤台4丁目)に設置した平和の灯の種火です 平和の灯は 戦争によって尊い犠牲となられた人々の冥福を祈り世界平和の実現のため設置された広島市平和記念公園内の平和の灯と長崎市平和公園内の誓いの火とを合わせたものです
平和の灯を永遠に灯し続け戦争の参加と平和の尊さを後世に伝えてまいります
平成4年3月27日 板橋区
ここには少しだけ戦時中の千人針やおもちゃの展示があります。
ほとんど説明はありませんが・・・
芝公園
名称
平和の灯(ひ)
住所
東京都港区芝公園4丁目10−17
芝公園
GoogleMap
https://goo.gl/maps/ruBc1DLcJMNHczw68
点灯日
2005年8月15日
灯されている火
広島市平和記念公園「平和の灯」
長崎爆心地公園「誓いの火」
福岡県星野村「平和の火」
新聞記事
朝日:8/16朝刊(東京)恒久平和願い、灯をひとつに 港で記念式典/東京都
毎日:8/16朝刊(東京)平和の灯:港区・芝公園に設置/東京
読売:なし
写真撮影:2021/07/31
説明版の説明文
「平和の灯(ひ)」
この「平和の灯」は、港区が昭和60年8月15日「平和都市宣言」を行ってから20周年を記念して設置したものです。
ここに灯された「火」は、広島市の「平和の灯」、福岡県星野村の「平和の火」、長崎市の「誓いの火」を合わせました。
この灯を通じて、戦争の悲惨と平和の尊さを後世に伝えてまいります。
平成17年8月15日 港区
<番外>上野東照宮
ここにあった「広島・長崎の火」は、福島県楢葉町の「宝鏡寺」に移されました。
詳細は以下の新聞記事をご覧ください。
東京新聞2020年7月25日電子版 「原爆の火」上野から福島に移設へ 「核」の惨禍でつながる
名称
広島・長崎の火
住所
東京都台東区上野公園9−88
上野東照宮
GoogleMap
https://goo.gl/maps/yhxmEkHt9fYx9fop7
灯されていた期間
1990年8月6日〜2020年12月24日
灯されていた火
福岡県星野村「平和の火」
長崎の原爆瓦から採った火
新聞記事
朝日:なし
毎日:なし
読売:8/6夕刊(社会)「原爆の火」東京にも 上野・東照宮で点火
現在の状況
写真撮影:2021/07/18
下に引用した昔の雑誌記事1の写真(右側)を見ると、
初詣、冬のボタン園、花見時ーひきもきらない参詣者は、モニュメントに足を止め、後ろの塀に展示された被爆の写真を熱心に見入る (91年4月)
と説明してあり、
ここにモニュメントがあった頃は、掲示板のような所に被爆の写真などが展示されていたようです。
その掲示板には今、こんな張り紙が貼ってあります。
なんか文章冷たいよね。
管理人から一言
ところで、これらの場所に行って、説明板を読んで、何を感じると思いますか?
ここにある説明だけだと、”ただ火が燃えてるだけ”って思っちゃうような気がしてなりません。
『星野村の「平和の火」』って言われて、意味がわかる人がどれだけいるんでしょう。。。
っということでこちらに独自の補足記事を書いてみました
。
更新履歴
2021年8月14日 新規作成
2021年8月15日 別記事「「平和の灯」はどこから来たのか?」へのリンク追加
2024年1月2日 移行に伴う見た目調整
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日本共産党中央委員会『前衛』1991年6月号「”原爆の火”永遠にー東京・上野東照宮」 ↩︎