都内の満蒙開拓慰霊碑をめぐるー八王子市・乗泉寺「満洲仁義佛立講開拓団」

「ヒロシマ講座」都内の満蒙開拓慰霊碑をめぐるシリーズ
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高尾山にある「シベリア抑留慰霊碑」への慰霊登山(記事はこちら )の帰り道
最後の1カ所へ向かいました。
場所は
乗泉寺八王子別院  google mapでこの辺


満洲仁義佛立講開拓団  google mapでこの辺




満州佛立開拓団の五百五十余名は昭和二十年八月二十五日、午後四時ごろ満州國竜江省兆南街西方約二十キロの地に於て殉死す
昭和五十三年三月建之

参考になるサイトへのリンク
NPO法人中国帰国者の会「日本写真で見る「満蒙開拓団」~東京開拓団(仁義仏立開拓団)~」

本門佛立宗2018年11月01日「仁義佛立開拓団の悲劇  克明に記された資料を発見」

満蒙開拓平和記念館 寄贈品No.24「仏立開拓団で渡満し残留婦人となった桂徳子さんが、日本の家族にあてて出した手紙」

この別院なのですが、入ってすぐのところにこんな碑があります。
「護国忠霊」という言葉が。。


乗泉寺史1に少しだけ記述がありました。

(昭和)十三年、日本軍は破竹の勢いで徐州、広東を攻略したが、戦線の拡大とともに声なき凱旋者も多く、その英霊の遺骨が送還されて戦争の過酷さを訴えた。
これら声なき凱旋者の中には各教区の信者も多数いたので、乗泉寺では、この年三月十七日、合同葬を執行、戦死者の霊を慰めた。
(昭和)十四年九月彰功会が解散、金五千円を厚生省に寄附、なお余剰金があったので、世田谷墓地に忠霊塔を建立した。(上巻p.228)

元々は乗泉寺 世田谷別院 google mapでこの辺 にありました。

その後、

八王子霊園が歴史的にもゆかりの地である滝山城跡に完成したのは昭和四十六年三月のことである。(下巻p.191)

世田谷別院は新改築があって、

着工以来一ヶ年余りの歳月を経て、完成を待たれていた世田谷別院回向堂が無事落成、昭和四十九年四月三日御遷座式を奉修、翌月五月二十六、二十九、三十日の三日間、第八世日歓上人の祥月命日を期して盛大に落成式典が挙行された。(下巻p.216)

なおこの工事に伴い、在来施設で移設または移築したものは次のとおりである。
(中略)
一、忠霊塔(八王子霊園へ移設)(下巻p.222)

ということで、戦後、世田谷別院から現在の八王子霊園に移動してきたようです。

これまでのフィールドワークレポートはこちら

更新履歴

2023年5月8日 新規作成
2023年6月6日 文責追記


  1. 『乗泉寺史』上巻,本門仏立宗妙証山乗泉寺,1979.10. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/12292242
    『乗泉寺史』下巻,本門仏立宗妙証山乗泉寺,1979.10. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/12291725 ↩︎