都内の満蒙開拓慰霊碑をめぐるー高尾山薬王院「満蒙大陸林業人供養塔」
2023年4月23日訪問
「ヒロシマ講座」都内の満蒙開拓慰霊碑をめぐるシリーズ
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高尾山にある「シベリア抑留慰霊碑」への慰霊登山が毎年4月と10月の第4日曜に行われています。
今回初めて参加したんですが、「シベリア抑留慰霊碑」と同じ場所に「満蒙大陸林業人供養塔」もあります。
場所は
高尾山佛舎利奉安搭 google mapでこの辺
の裏側です。
満蒙大陸林業人供養塔
満蒙大陸林業人供養塔
昭和四十九年六月 外林会 満蒙部會 建之
松老謹書
満蒙大陸林業人供養塔建立の記
近代日本の国策に則り 曽てアジア大陸の一角で満蒙林野の正業経営に挺身すべく 官民一体の民族の大移動が行われた しかし残念ながら敗戦により雄図空しく祖国に帰還せざるを得なくなった その間国境を越えた物故の五族協和同人は 多数に上っている
この「満蒙大陸林業人供養塔」は これら物故者の英霊に供養を捧げ その冥福を祈るために 満蒙に住んだ官民林業関係者が悉く参画し 全魂こめた体制で建立したものである これが建立にあたっては とくに 高尾山薬王院はじめ 林野庁 東京営林局 東京営林署 東京都 日本林業技術協会 全国林業改良普及協会 その他の 絶大なるご援助を賜わった なお工事関係については 吉田茂八 後藤東吉両氏の労を多とするものである 以上銘記し 深甚の謝意を表する昭和四十九年六月
この碑を建立した外林会というのは
森林総合研究所の山本伸幸さんの論文「森林技術者の引揚・復員と戦後林業・林政」1によると
「自興会」という満洲から引き揚げてきた林業関係者の援助組織を前身とし、
自興会を足がかりとして,満洲以外の引揚者まで広く範囲を拡げて,1949年に設立されたのが,「外地林業懇話会」である。会は,翌1950年の総会で外林会と名称を変更し,満洲国林野総局長を務め,戦後,日本林業技術協会理事長の職にあった松川恭佐が,初代会長に就任した。(p.10)
1960年の最盛期には,「外林会」会員数は2,847人を数えた。しかし,会員の高齢化とともに,次第に会員数は減少し,1974年に解散。同時に,満洲関係者のみによる「外林会満蒙部会」が発足する。同年,高尾山薬王院に満蒙大陸林業人供養塔が建立されるが,その後の会の活動は,年1回の薬王院での満蒙大陸林業人物故者慰霊祭の挙行が中心となる。引揚者の縁故者によって組織される,「外林講」という講社へと2000年に組織変更されたが,現在も年1回の慰霊祭は続いている。(p.10)
この外林会満蒙部会が作った本「満蒙大陸林業史」2は国会図書館のデジタルコレクションで読むことができます。この本の冒頭には「満蒙大陸林業人供養塔」の建立後間もない頃の写真が掲載されています。
さて、この場所にはいろいろな碑があります。
今回やってきた目的の一つである
望郷 シベリアに眠る抑留者供養碑
これはシベリア抑留されていた佐藤甲子雄(かしお)さんが帰国後に個人で建てたものです。
毎日新聞の記事(有料記事)がありました。
毎日新聞2019年6月28日「シベリア抑留 高尾山の慰霊碑訪れ犠牲者悼む 遺族が建立の佐藤さんお見舞い /東京」
毎日新聞2020年10月26日「シベリア抑留、供養碑10周年 95歳帰還者ら慰霊登山 「二度と戦争起こさないで」 高尾山 /東京」
ここにあるのは他に
観音像 陸軍士官学校第六十一期生会
硫黄島戦歿社慰霊碑
支那駐屯歩兵第二聯隊 慰霊顕彰碑
更新履歴
2023年5月8日 新規作成
2023年6月6日 文責追記
2024年1月2日 移行に伴う見た目調整
2024年1月5日 訪問日追記
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外林会満蒙部会 編『満蒙大陸林業史』,外林会満蒙部会,1977.4. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/12010169 ↩︎