衆議院予算委員会第12号

2013年03月12日

■憲法

(日本維新の会 村岡 敏英 氏との質疑中)

さきの衆議院選挙において投票率が下がったということは、三年三カ月、民主党政権によって政治そのものに対する信頼が失われたということなんだろうと思います。それは、我々自由民主党も含めた既成政党への不信でもあったわけでございますから、いわば既成政党以外の政党である維新の党が千二百万票をとられたということは、まさに、比例選の結果においては、第二党は維新の党である。これはやはり大きな結果なんだろう。それはつまり、政治を変えてくれ、日本を変えてくれという希望を皆さんに託したんだろう、私もそのように思います。
その中において、九十六条を変えていく。これはいわば、憲法に対して国民の皆さんが自分の意思表示をする機会を、事実上ずっと奪われていたんですね。たった三分の一をちょっと超える国会議員がそんなものは変えられないよと言えば、国民は自分の意思を、賛成にしろ反対にしろ、意思表明をしようと思っても、その手段すら行使できなかった。しかし、それを変えていこうという皆さんの意思に対して、多くの国民の皆さんは拍手を送ったんだろうと思います。

■主権回復の日

(公明党 遠山 清彦 氏との質疑中)

もう既に説明をしておりますが、もう一度、四月の二十八日、この式典の意義についても繰り返させていただきます。
政府としては、サンフランシスコ平和条約が発効してから六十年の節目を記念して、我が国による国際社会の平和と繁栄への責任ある貢献の意義を確認するとともに、これまでの経験と教訓を生かし、我が国の未来を切り開いていく決意を確固としたものとするために、本年の四月二十八日に政府主催で記念式典を挙行することといたしました。
もちろん、この式典に当たっては、奄美、小笠原、沖縄が戦後の一定期間、我が国の施政権の外に置かれたという苦難の歴史を忘れてはならないということは当然のことでございます。
まずは、日本がこのサンフランシスコ平和条約にのっとって、残念ながら、本当に残念ながら、沖縄、奄美、小笠原については施政権の日本への返還はできなかったのでありますが、その道への一歩を踏み出そうという思いの中で、大変そういう地域の皆様には申しわけないとの思いの中で、まずこのサンフランシスコ平和条約を発効させることによって独立を、主権を回復したわけでありますが、当然、そのときに、その段階では、沖縄を初めそういう地域は主権を回復できなかった。これは本当にじくじたる思いであった。その思いも我々は共有しなければならない、こう思っているわけであります。
戦後の一定期間、我が国の施政権の外に置かれたという苦難の歴史をまず忘れてはならない。そして、苦難を耐え抜かれた先人の心情に思いをいたし、沖縄の方々の抱える基地負担の軽減に取り組むとともに、奄美、小笠原、沖縄を含めた我が国の未来を切り開いていくという決意を新たにしていくことが重要であろう、このように考えております。
この四月の二十八日の記念式典についても、私自身も、また山本一太担当大臣も、沖縄の皆さんに説明を尽くしていきたいと考えているところでございます。
そして、もう一点でございますが、沖縄戦没者追悼式でございますが、戦没者のみたまを慰めるとともに、世界の恒久平和を願う沖縄の心を発信する目的で、毎年、沖縄県が六月の二十三日に実施しているものでございまして、六年前、私も総理大臣として出席をしたところでございます。

(日本共産党 赤嶺 政賢 氏との質疑中)

この四月の二十八日は、まさにサンフランシスコ講和条約が発効した年であります、あのときも、この講和について反対をする人たちがいたわけでありました。いわば、当時のソビエト連邦は反対をしていたわけでございますが、日本は、その中において、まずは占領政策を終えなければ主権を回復できない。
確かに、今、赤嶺委員が指摘されたように、沖縄そして奄美、小笠原については、これは残念ながら一緒に施政権を回復することはできなかったのでありますが、しかし、それは、それを認めなければ、その後もずっと占領下が丸ごと続いていくということになるわけであります。まずは何とか我々は占領下から主権を回復して、その後、沖縄についても、小笠原についても、奄美についても、何とか日本に返ってこられるように、交渉力を持って米国と交渉するということでありました。
その後、総理になった佐藤栄作も、政治生命をかけて、この沖縄返還にかけたわけでありまして、沖縄の返還なくして日本の戦後は終わらないとの考えであった。それは、私もそういう思いであります。
だからこそ、この四月の二十八日は、そうした意味において、沖縄返還、あるいは奄美、小笠原に向けてのまずは第一歩をしるしたということではないか、このように思うわけであります。

これに対し、赤嶺氏が「佐藤総理が沖縄に来られたのは一九六五年ですよ。そのときに、沖縄の返還なくして戦後は終わらないと言ったんですよ。つまり、一九五二年四月二十八日では終わっていないという認識を佐藤総理は示したんですよ。」

まさに、今、佐藤内閣が取り組んだことについて私は申し上げたわけでありますが、沖縄の返還なくして戦後は終わらないとの思いで、一丸となって沖縄返還のために努力をしたわけであります。
そして、それは五二年に、まさに、見捨てたということではなくて、まずは主権を回復しなければ、そのまま占領軍が日本にずらっといて、そしてそのまま占領政府があって、全く我々は主権を回復していないという状況がずっとその後も続いていくことになるわけであります。まずは独立を回復しなければ、独立国として米国と交渉することもかなわなかったという状況にあったんだろう、このように思うわけであります。
その中において、まさに苦渋の判断であったのだろうと思いますよ、五二年の段階においては。しかし、あのときの判断があり、そして、その後に、いわば沖縄の復帰ということにつながっていったんだろう、このように思うわけでありますが、当然、沖縄の方々の思いに我々は寄り添っていかなければいけないと思いますし、そのときの苦しい思い、その後の歴史に対しましても、私たちは思いを寄せなければならない。
そういう中におきまして、一日も早い負担の軽減、基地の返還。先ほど普天間の返還について話をされたわけでありますが、同時に、我々は、嘉手納以南、キャンプ・キンザーも含めて、嘉手納以南の返還は全く進んでいないわけでありますから、これを何とか進めていこう、このスケジュールも明らかにしていきたい、こう決意をしているところでございます。

原発
(日本維新の会 小熊 慎司 氏との質疑中)

再稼働についての質問でありますが、現在、原子力規制委員会において、東京電力福島第一原子力発電所の事故を踏まえた新しい安全基準の策定が進められています。原発の安全性は原子力規制委員会の専門的な判断に委ね、そして新しい基準を満たさない限り原発の再稼働は認めない、これが原則であります。
一方、新たな基準へ適合すると認められた場合には、その判断を尊重し、再稼働を進めていく考えであります。
新しい安全基準は本年の七月の十八日までに施行されることになっておりまして、施行後、順次、個別の原発について審査されていくものというふうに認識をしております。

出典:衆議院HPの議事録

(私の感想)
まず憲法については何度でも繰り返しますが、憲法は国民が権力を縛るためのものです。
もし国民が憲法を変えたいと本当に望むならば、それはいろいろな形で意思表示されていたはずです。
現に原発に関しては多くの人がゼロを望むという国民の意思が表示されたはずなんですが、
そっちは完全無視ですねぇ。安倍さん。

そして主権回復の日。
なぜ4月28日に天皇まで出席させて式典をしたかったのか?
3月7日の答弁にひっそり隠れているように思いました。
再度そこだけ引用すると
“憲法あるいは教育基本法といった、日本を形づくる、そうしたものもその期間にできたわけでございます”
ここでいう「その期間」というのは占領中の期間のことを言っています。
要するに占領中にできた憲法や教育基本法なんて無効なんだ、っていうことをはっきりさせるための式典だったのでは?
だから、4月28日でなければいけなかったのでしょう。
「天皇陛下万歳!」
なんてこともしちゃって。。
この言葉を叫んで亡くなった人たちのことは心のどこにもないんでしょう。
そして天皇の軍隊に殺された多くの人たちのことも全く心にはないんでしょう。
それにしても、これは言われた天皇の方が困ったんではないでしょうか?

最後に原発
福島原発の事故原因もわかっていないのに「事故をふまえた新しい安全基準」なんてできるはずないんですが、
責任は全て「原子力規制委員会」に押し付けて、とにもかくにも再稼働を進めていくってことですね。
これこそ国民がはっきりと表示した意思を完全に無視した行為だと思います。
「想定外」の事故が発生し、その原因もわからないのに、
「これくらいやれば大丈夫でしょう」という「想定」を積み重ねた基準で再稼働を進めていくなんて、悪い冗談にしか聞こえません。

新規作成:2013/09/23
最終更新:2013/09/23
(旧ブログ初掲載:2013/05/06)