衆議院予算委員会第19号

2013年04月05日

この日はエネルギー・原発の集中審議

■原発

(民主党 辻元 清美 氏との質疑中)

個々の対応については、原子力規制委員会において極めて厳しい基準を決めていくわけでありますから、原子力規制委員会において決められた基準において原子力規制委員会が判断をしていく。我々は、その判断を受けて、稼働するかどうか判断していく、こういうことに手順としてはなっていくわけであります。

我々は、三年間において、原発について、安全という判断を規制委員会でされたものについて、政府として責任を持って判断して再稼働させていくわけでありますが、同時に、再生可能エネルギーを初め、そうした新しいエネルギーについて国家資源を投入しながら新たなイノベーションを目指していく、そういう中において、十年以内にエネルギーのベストミックスを構築していくということであります。

(民主党 細野 豪志 氏との質疑中)

先ほども答弁いたしましたが、三年間、ことしの七月までに規制委員会が厳しい基準を決めていく中において、その後、安全について判断をしていく、そして、基本的にはこの三年間の中において、動かすかどうかということを判断していくことになる、こういうことでございます。

事実関係については茂木大臣から答弁をいたしますが、我々は、十年間ずっと何もしないというのではなくて、三年間を目途に、いわば原発を再稼働するかどうかというのを判断を進めていって、そして、その中において再生可能エネルギーを初めさまざまな新しいイノベーションに挑戦をしていくという中において、十年間でベストミックスを構築していくわけです。だから、順次、代替可能なエネルギーにかえていく、そして依存率は低減していくということでありまして、この十年間の中においてそれを構築するということでありますから、十年間、例えばそうしたところについて判断をしないということではないということであります。
また、上関については、これは長い歴史があることでございます。確かに、祝島の方々は強く反対をしておられるということは承知をしておりますが、一方、上関の皆さんについては大分状況が違うわけでありまして、前の知事さんも自民党の支持の知事でありましたし、この知事が後継者として指名した今の山本知事が、いわば反原発ワンイシューで戦った飯田さんと、上関においては圧倒的大差で現知事が勝っているというのもあるんですね。実は、山口県全市町村で二番目に高い得票率をとったのが上関であるということもつけ加えておきたいと思いますが、その中において、どちらにしろ、この問題については、先ほど茂木大臣から答弁をさせていただいた姿勢で我々は考えていきたいと思っております。

ちなみにこの茂木大臣の姿勢というのは
「電源構成のベストミックス、これはなぜ十年ぐらいかとか、どういうことをやっていくかといいますと長くなってしまいますので、割愛をさせていただきたいと思っておりますが、電力の安定供給、エネルギーコスト、世界の化石燃料供給リスクの情勢判断、原発事故の検証と安全技術の進歩の動向など、じっくり見据えながら、やはりある程度の時間をかけて検討していくことが必要であると考えております。そういった検討の中で、新設そしてリプレースの問題は検討すべきものと考えております。」
というものです。

(みんなの党 柿沢 未途 氏との質疑中)

ただいま茂木大臣から答弁をいたしましたが、三年間で、原発において、規制委員会が安全かどうか判断をしていくわけでありますが、その中で、動かすものは動かしてまいります。
そして同時に、再生可能エネルギーを初め、あらゆるエネルギーの可能性について、新たなイノベーションを求めて国家資源を投入していくわけでありますが、そして、十年間において、稼働するものを稼働していく中、あるいは新たなエネルギー源が獲得できれば、当然、原子力発電の比率は減っていくという中において、安定的な供給、もちろん安全でそして廉価なものをミックスしたベストミックスを構成していきたい、こう考えております。

(日本共産党 塩川 鉄也 氏との質疑中)

日本は世界の中において有数な地震国であるがゆえに、原子力発電所の地震に対する安全性はより厳しいものが求められるというふうに認識をしております。
東日本大震災の教訓も踏まえて、世界最高水準の安全を目指すという考え方のもとで、今回、地震対策を強化した新たな、極めて厳しい規制基準を原子力規制委員会において策定をしているところでございます。

■憲法

(民主党 細野 豪志 氏との質疑中)

昨年、ほぼ自民党主催だったのかな、主権回復の記念日が開催されたわけでございまして、私は、たまたま前から約束をしていた講演がございましたので、ビデオメッセージを出したわけでございます。
昨年、いわば六十年を記念して行った式典ではございましたが、六十年前にまさに日本はサンフランシスコ講和条約、平和条約を結んで、戦争時代を終結したわけでございます。七年間の占領時代というのは戦争状況の継続であるということなんですね。そして、平和条約を結んで、日本は外交権を初め、初めて主権を回復したということになるわけであります。
ただ、私が投げかけた問題点は、きっちりとそこを区別していなかったことによって、占領時代と、これから独立をしたという、いわば精神においての区切りをつけていなかったのではないかということですね。
そして同時に、この七年間の間に、憲法とかあるいは教育基本法、国の形を決める基本的な枠組みができた。そして、それは果たしてそれでいいのかということであります。例えば、ドイツにおいては、いわば占領軍がいた段階におけるものは、憲法ということではなくて基本法という形にして、そうした状況が変わったときにもう一度考え直そうということでありましたが、日本はそうではなかったということであります。
そこで、もう一度それをやはり考えてみるべきではないかということを申し上げたわけでございまして、それは、六十年前に、本来であればやっておくべきことだったのではないかという問題意識を申し上げたところでございます。

基本的には、いわばさまざまな疑問があって、例えば、ハーグ陸戦協定上、占領している期間にはその国の基本法を変えてはならないという規定があるわけでありますが、しかし、その中において我々は、事実上、これは占領軍がつくった憲法であったことは間違いがないわけであります。形式的にはそうではないわけでありますが、しかし、占領下にあってそれが行われたのはファクトとして事実であります。その中において、やはり占領が終わった中において、いわばそういう機運を盛り上げるべきではなかったかというのが私の考えであります。
まさに、これは昭和二十一年でありますが、当時の幣原内閣において、松本烝治担当大臣が案をつくっていたわけであります。甲案、乙案というのを考えていたわけでございますが、これは二月一日に毎日新聞がスクープしたわけでありまして、このスクープした案を見てマッカーサーが激怒して、そして二月の四日にホイットニー民政局長とケーディス次長を呼んで、もう日本には任せておけないから、これは私たちでつくろうという指示をホイットニーとケーディスに出して、そして、ホイットニーがケーディスに対して、委員会をつくってつくりなさい、そして二十五人の委員が、そこで全くの素人が選ばれて、たったの八日間でつくられたのが事実であります。これが原案と言われているわけでありますから。
しかし、そこは、そういう事実も踏まえて、その段階ではそういう事実に対してもみんな目を覆っていたんですよ。ですから、そういう事実をやはりちゃんと見ながら、自分たちで真の独立国家をつくっていこうという気概を持つべきではなかったかということを申し上げたわけでございます。

まず、勝手に、私があたかも自由や民主主義や基本的人権、そういうものを否定しているかのごとく発言されるのは極めて迷惑な話でありまして、自民党案においても明確に、平和主義、そして自由民主主義、基本的人権、この基本的な考え方、国民主権、そうしたものは受け継いでいくということをあらかじめ宣言をしているわけでございます。そこは誤解のないようにしていただきたいと思います。
憲法制定過程における問題点について私は申し上げているわけでありまして、しかし、その問題点は決して小さなものではないということは申し上げておきたいと思うわけであります。
そして、同時に、憲法というものについては、いわば権力を持っている権力者側に対して、かつては王権でありますが、王権に対してさまざまな制約を国民が課す、そういう存在でありました。しかし、今、自由や民主主義が定着をしていて、国民主権ということが明らかになっている中にあって、果たしてそれだけかどうかということなんですね。いわば、どういう国にしていくかということも、やはり憲法には、これは込めていくべきなんだろう、このように私は考えているわけであります。

■主権回復の日

(民主党 細野 豪志 氏との質疑中)

今から六十一年前に日本は主権を回復しましたけれども、残念ながら、主権外に奄美、小笠原そして沖縄があった。しかし、このときに、サンフランシスコ講和条約において平和条約を結ばなければ、そもそもそうした主権外に置かれている地域を取り返す外交権すらなかったわけでありますから、当時は苦渋の決断なんですね、占領軍がいるんですから。
その中において、まず占領軍から、基本的には、占領軍という形ではなくて、当時の日米安保条約という形で、条約に基づく駐留軍という存在に変えて、占領軍から自分たちの主権を取り戻して、外交権を回復して、そして悲願として、そうした主権外に残された方々を取り戻す。
その中において、当時の自民党も、その段階では自民党ではありませんが、佐藤栄作も、まさにライフワークとして、沖縄が返ってこなければ戦後は終わっていないということは明確であったわけでありまして、そういう歩みをしてきたということは、それは間違いがないということは申し上げておきたいと思います。
そして、ことしの主権回復の日、平和条約を記念する式典でございますが、これは毎年毎年やるというものではなくて、昨年が六十年という節目でございましたが、まだそれができなかったのでということでやるわけでありまして、どういうタイミングでやるかはまた今後考えていきたい。
これは毎年毎年やっていく式典ではないということは申し上げておきたいと思いますが、同時に、沖縄のいわば返還された五月十五日でございますが、この日についても、どういうタイミングでやるかどうかということは考えながら、今細野幹事長が言われた点は、我々も当然考えていかなければならない、このように思っております。

出典:衆議院HPの議事録

(私の感想)
この回は盛りだくさん

まず原発ですが
事故原因もまだわかっていない事故を「踏まえて」基準をつくり、どんどん再稼働していきますよ、ということですね。
「福島は特殊だったんだ」ということで忘れてしまうつもりなのでしょうか?
再稼働すれば、遥か未来の生命をも脅かす核のゴミをさらに作り続けることになってしまいます。
その処理方法もないのに「経済的」なエネルギーだなんておかしすぎです。

次に憲法です。
松本案がなぜそれほどマッカーサーを怒らせたか?
それは大日本帝国憲法とほとんど変わっていなかったからでしょう。
その大日本帝国憲法の元で軍部が暴走し、悲惨な戦争が起き、膨大な数の死者が出てしまった。
最初、GHQは日本人が自ら民主的な憲法を作ってくることを期待しており、
実際、憲法研究会という私的なグループはかなり民主的な憲法草案を作っていたようです。
ところがふたを開けてみると、日本政府が作っている憲法草案は大日本帝国憲法とほとんど同じ。。
まぁ誰でも「こりゃダメだ」って思いますよね。
一つずつ指摘しても時間がかかるだけだから、こっち(GHQ)でお手本を作ってやる、っという流れなんでしょう。
結局、当時の日本政府に憲法を作る能力はなかったってことです。
「たった8日間でつくった」とは言いますが、60年以上かけて脈々と考えられていたであろう自民党草案などを見ると、
かけた時間は全く関係ないと思います。
そもそも出来上がった過程をとやかく言うんではなく、中身をきっちり議論してほしいです。

憲法は国民が権力を縛るためのものである、というのが気にいらないのでしょうか?
権力を持つものが「果たしてそれだけかどうか」なんて堂々と言っているのは、
自らが持つ権力の巨大さへの自覚がないのか、
はたまたそれを知った上で国民をだまくらかそうとしているのか。。

それにしてもです。物事には優先順位ってものがあると思います。
今、政治家たちは憲法改正があたかも優先課題のように扱っていますが、「ちょっと待ってくれ」と私は言いたい。
震災後の復興
福島原発の危機的状況
在日米軍
ワーキングプア
。。。
などなど今の日本には問題山積みです。
これらの問題は憲法を変えないと解決できないんでしょうか?
憲法変える議論をする前にやることがいっぱいある、と私は思います
今の政治家の言葉に現実感がなくて同じ日本に住んでいる人たちなのか分からなくなる時があります。

新規作成:2013/09/23
最終更新:2013/09/23
(旧ブログ初掲載:2013/05/06)