参議院予算委員会第17号

2013年05月14日

■憲法・靖国

(民主党 前川 清成 氏との質疑中)
※前川氏の質問も合わせて記載します
前川氏
『次に、総理が参議院選挙の中心的な論点だと、こういうふうにおっしゃっている憲法改正に関して議論をさせていただきたいと思います。
その前提として、ちょっと私の立場も説明しておきたいと思いますが、私は、憲法は絶対に変えてはならないものだとは思っていません。不磨の大典だとは思っていません。仮に憲法であったとしても、時代や社会の変化に応じて見直すことはむしろ当然だと思っています。民主党も、二〇〇五年に取りまとめた憲法提言の中で、今、憲法の論議が盛り上がっている状況を歓迎すると、こういうふうに述べています。したがいまして、私は、もしも、あなたは護憲ですか改憲ですかと、こういうふうに問われたならば、総理と同様に改憲論者のつもりです。
しかし、私が自民党の憲法改正草案と基本的に異なるのは、憲法というのは国民の心構えを書くものでもない、日本の美しい風土や歴史を書く宣言文でもない。じゃ、憲法とは何か。それは、国家権力を制限するためのルールです。市民革命など人類の歴史を振り返れば、自由や平等に対する最大の脅威は国家権力でした。たとえ民主的な国家権力であったとしても、ヒトラーのように濫用されることがあります。だから、自由や平等を守るためには国家権力を制限しなければならない、そのために生まれたルールが憲法です。憲法を論議するに当たっては、私は、この立憲主義の原点を忘れてはならないと思っています。
その上で、九十六条に関してです。
総理は、まずは九十六条を改正するべきだと主張しておられます。その理由として、国民の過半数が変えたいと思っても国会議員の三分の一が反対したら阻止できるのはおかしいと、だから発議要件を二分の一に引き下げるべきだと、こういうふうに述べておられます。
そこで、総理にお尋ねしたいんですが、多数決なら何を決めてもいいんでしょうか。多数決なら、差別をしても、人間としての当然の権利、つまりは基本的人権を奪ってもいいのか。私たちにとって大切なものは多数決だけではありません。例えばですが、戦争はあかんよという平和主義、人間は生まれながらにして自由で平等だという基本的人権も大事な価値観です。だから、憲法は、王様でもやってはならないこと、総理大臣でもやってはならないこと、多数決でも奪ってはならないことをルールとして確認をしています。だったら、私は、たった二分の一の賛成だけで憲法を変えてはならないと、こういうふうに確信をしています。憲法改正に当たって多数決というのを強調されるのは私はいかがかと思っていますが、総理はいかがでしょうか。』

哲学として、多数決だったら何でもできるか、もちろん私もそれはできないと思います。そもそも日本は古来以来の長い歴史と伝統を持っているわけでありまして、その中において積み上げられたこれは知恵もあるわけでございます。これは、ある意味においては、法律、憲法があると同じように、私たちの生活の規範の一つとなっているんだろうと、こう思うわけでございます。
そこで、この憲法についてでありますが、自由民主党は立党以来憲法改正を掲げてきたわけでございますが、残念ながら、この憲法論議というのはずっと深まらなかったのが事実であります。事実上、国民の皆様にとっては、これはまず自分たちがそれにかかわることはなかなかできないだろうと、そもそも最初からそう思ってしまう、そういう言わば改正規定になっていたことも私は一因ではないかと、こう思うところでございまして、そこで、発議要件について、今の三分の二というものは、言わば三分の一を少し超える国会議員がこれはもう国民投票にはさせないという意思を表明しただけにおいて、たとえ六割、七割の国民の皆さんが自分の意思を表明したいと思っていてもそれはできない、それは賛成でも反対でもいいですよ、ということができないという。ですから、事実上今まで一回も国民投票には付されていないわけであります。
国民投票になればこれは必ず成立するとは限らないわけでございまして、事実、九十六条についても反対の方の意見の方が今多いのも事実であります。たとえ今三分の二でこれを国民投票に付したところでこれは否決されるわけでありまして、これこそまさに私は民主主義なんだろうと思うわけでありますし、つまりその中において私たちも国民の意思を尊重するべきだろうと。国民が自分の意思表示をしたいという気持ちも尊重するべきだろうし、国民の意思を私たちはある意味信頼するのも当然私たちのよって立つべき立場ではないかと、こう思うわけでございます。
しかし、もし二分の一にしたところであっても、これは簡単にすぐにこの国民投票に行く、国民投票という大きなこれは政治的な決断を国民の皆様にお願いをしなければいけないわけでありますから、極めて重たいこれは判断であるということも申し添えておきたいと思います。

前川氏
『総理、若干論点がかみ合っていないと思います。私も憲法改正に当たって国民投票を否定するつもりはありません。もちろん、国会が発議をして、その後国民投票が行われる、その国民投票において国民の憲法に対する意思が表明されると、ここは一切否定していません。
しかし、その前提として、発議の要件として本当に二分の一でいいんですかということを申し上げているんです。三分の二というのがそんなに高いハードルなのか、何でもかんでも二分の一で決めてもいいのですかと、その根源的なところをお聞きしました。その点について総理からも、いや、何でもかんでも二分の一で決めていいわけじゃないんだと、こういう御発言がありましたので、そこは価値観を共通できていると思います。
そこで、ちょっとパネルをお出しいただきたいんですが、日本に限らず、憲法改正に当たって法律の改正よりも厳しい要件を課していると、これは言わば世界の常識であります。これを硬性憲法といいます。理屈を言うわけではありませんが、最高法規であることの論理的な帰結として硬性憲法が導かれます。なぜならば、法律の改正と同じ要件であれば憲法が法律と区別できなくなってしまうと、だからどこの国にあっても厳しい要件を決めています。
もし二分の一になってしまうと、この法律との区別が余り付かなくなってしまうんじゃないのか。この点で、自民党の憲法改正推進本部長代行をしておられる船田元衆議院議員、長らく憲法改正の問題に真摯に取り組んでおられて、私も尊敬させていただく政治家のお一人でありますが、その船田議員も四月三十日の毎日新聞のインタビューで、二分の一だと一般法と余り変わらなくなってしまうと、こういうふうな危惧をお示しになっておられます。
憲法典を持つ国々において硬性憲法であるということは世界の常識だと、こういうふうに申し上げたんですが、例えば明治憲法、これも七十三条の二項で両院の三分の二を必要としておりました。
今パネルをお示しをいたしましたが、日本と同様に第二次大戦の敗戦国でありますドイツ、ここにおいても両院の三分の二の賛成を必要としています。しかし、戦後五十九回憲法を改正しています。アメリカ、これも両院の三分の二とさらには州議会の可決も必要ですが、戦後だけで六回改正をしています。お隣の韓国、これは一院制ですけれども、やはり国会の三分の二の多数、しかし戦後九回改正をしています。
まだまだ例はあるわけですが、御理解をいただきたいのは、現行憲法が憲法の改正に三分の二以上の多数と定めているのは別に不思議なことではなくて、ほぼ世界の大勢だと、こういうことであります。先ほども申し上げましたが、国民にとって、王様でも奪ってはならないこと、多数決でも奪ってはならない自由や平等を保障している憲法である以上は、二分の一の賛成だけでは憲法を変えてはならない、これは論理的な帰結だと私は考えます。
そこで、総理にお尋ねをしたいんですが、アメリカやドイツや韓国でそれぞれ六回、五十九回、九回、憲法が改正されています。日本で戦後七十年憲法が改正されなかったその理由は、憲法九十六条があったからでしょうか。』

米国の場合は州の批准がありますが、しかし国民投票はございませんし、ドイツの場合も国民投票はありません。日本の場合は国民投票があるということでありますから、そこは大きく違う点なんだろうと思います。
今の御質問でございますが、そもそも言わば三分の二を取った勢力が今までいなかった、日本においてはですね。かつては自由民主党のみがこれは改憲勢力であったわけでありますが、衆議院と参議院両方でそれぞれ三分の二を取ることはなかったわけでございますし、また、米国と違う点は、クロスボーティング、党派を超えて法案について賛否が自由に行えるという、そういう仕組みではなくて、党議でそれぞれの党が縛っていくという中において、議院内閣制でありますから、そこは違う点だったんだろうと、このように思います。
しかし、一般的に、それは国民の皆様の多くが世論において憲法を変える必要がないだろうというふうに考えていたのも事実だろうと思います、長い間ですね。しかし、この数年の間はまさにこれは逆転をしておりまして、多くの世論調査の結果、憲法は変えた方がいいという考えに変わっているということは申し上げておきたいと思います。

前川氏
『総理、私の今質問にはお答えいただけなかったんですが、憲法九十六条があったから戦後憲法は改正されなかったというのは正確ではないということはお認めいただきたいと思います。それぞれの国で三分の二を、要件を課しながら憲法の改正が行われてきたわけですから。
それで、今総理の方から、三分の二の勢力を取った政党がなかったんだと、だから憲法が改正されなかったんだと、こうおっしゃったんですが、私は、是非その発想はおやめいただきたいと思います。
私は、憲法というのは、例えば自民党政権の憲法、民主党政権の憲法、あっていいものだとは思っていません。国の基本的なルールです。選挙があっても、政権交代があっても、やはり基本的なルールは変わってはいけない。そうであれば、自民党の憲法ではなくて、与野党で少なくとも三分の二、これは主要政党間の合意で足りるわけですから、主要政党間の合意を醸成する努力を戦後六十年間やってこなかったんだと、だから憲法は改正されなかったんだと、そういうふうに理解するべきではないかと、こういうふうに思います。
その点で、ボードを替えていただきたいんですが、今の二分の一というのがどの程度の国民の支持に基づいているのかと。先ほど牧山さんの質問の中にもありましたが、二〇一二年の衆議院選挙、これは自民党は二百九十四議席を獲得されました。衆議院の四百八十の議席の六一・三%を占めています。しかし、小選挙区と比例区と平均をいたしますと、全ての有権者の中で自民党の候補の名前あるいは自民党と書いた方は二〇・三%しかいらっしゃらない。民主党も二〇〇九年の選挙で三百八議席をいただきました。これは四百八十の議席の六四・二%に当たります。しかしながら、民主党の候補者の名前あるいは民主党と書いていただいた有権者は全有権者の三〇・五%しかいなかったわけです。そうであれば、国会議員の二分の一というのがどの程度国民の世論を正確に反映しているのか。
先ほど選挙制度は様々な難しい問題があるという御発言もありましたが、まさにそのとおりで、今の選挙制度を前提にするならば、私は二分の一という数字に対してもう少し謙虚に向かい合う必要があるのではないかと考えております。総理、いかがでしょうか。』

しかし、この憲法改正においては国民投票があるわけでありまして、この国民投票をさせない、つまり二分の一でパーセンテージが少ないとおっしゃられましたが、三分の一以下であれば、三分の一ちょっとを超えるぐらいであればもっと少ないじゃないですか。ほんのちょっとの人たちの意見で国民投票自体ができない。国民投票は五割の方が賛成しなければこれ変えられないんですから、変えられない、変えるかどうかの意思判断をさせないということを、今委員がおっしゃった論理でいえば、まさに国民の支持のほんの少ししかない人たちがそれを封印することができていいのかという考え方も十分に私は成り立つのではないか。
ただ、私も、委員がおっしゃっている御懸念も分かりますよ。これは法律と同じように憲法を変えていいとは全く思いませんし、自由民主党の憲法、そして、では政党が入れ替わったら今度は民主党の憲法になるというものであってはならないと思いますし、できる限り多くの政党の理解を得る努力を私もしていくべきだろうと、このように思います。
かつて五五年体制下においては、指一本触れさせないという護憲勢力がいて、一方、憲法を変えようという自由民主党との間には対話は不可能であったわけでございまして、今委員は自分も全く護憲派ではないということでありましたから、ではそういうのはどういう条項に当たるかということにおいて逐条的に議論をしていくということも大切であろうということでありまして、今我々が九十六条ということを掲げていることは、これはまずはということについて申し上げているのは、国民の皆様がそれは投票に参加できるようになるということにおいて申し上げているわけでありまして、実際それも三分の二が必要ですから、では三分の二があれば、直接私たちはお示しをしていますから、その中において、結局ここがなかなか国民の支持を得られないという中においては、では、皆さん方とこれは認識を一つにするものがあればそういう努力も当然やっていくというのが現実の政治の姿だろうと、このように思います。

前川氏
『今総理が、三分の一の人たちが憲法改正阻止できるのはおかしいと、こういうふうにおっしゃいました。しかし、それは民主主義ということだけ考えれば総理のおっしゃるとおりかもしれませんが、そもそも憲法という法の成り立ち、これはいわゆる自由の基礎法と言われているように、多数決であっても民主主義政体であっても、少数の人たちの権利や自由を守ろうというためにできたルールなんです。そうであれば、三分の一の人たちが阻止権を持っているというのはむしろ憲法の成り立ちからいうと当然なんです。
だから、先ほど申し上げたとおり、三分の二の広範な合意を形成するための努力を与野党共にやっていかなければならないと、こういうことであって、私は、憲法を例えば選挙の争点にしたり、憲法について真面目な議論をしているのに自民党席からやじったりとか、こういうことは適当でないと思います。それで、逐条的な議論、これは是非お願いしたいと思いますし、この後予定しています。
民主党も二〇〇五年に憲法提言というのをまとめました。これはなかなかよくできているというふうに言っていただくんですが、ただし、長文で抽象的で少し難解なところがありますので、結論をセンテンスの形に是非早々にまとめていきたいと、こういうふうに思っています。
その前にもう一つ、九十六条改正先行論についてです。九十六条を、今総理がおっしゃるように中身の議論とセット、これは私は賛成ですが、これまで総理は、まずは九十六条だけ先に改正しましょうと、こういうふうにおっしゃっていました。それに対して私は大変危惧を持っておりました。
報道によると、これは正しいかどうか分かりませんが、ゴールデンウイークに訪米した自民党議員を通してアメリカ政府が九十六条改正先行論に懸念している旨を総理に伝えたと、こういうふうにあるわけですが、これは事実なんでしょうか、間違っているんでしょうか。』

そんな事実は全くもちろんございません。そして、もしたとえあったとしても、他国から我が国の憲法に、変えていい、変えては駄目だと言われる筋合いのものでは全くないと、このように思います。

前川氏
『ありがとうございました。
それで、先ほど総理が五五年体制のお話をされていましたが、私も長く続いた五五年体制下の憲法論議というのは、一方では自民党が占領下の憲法だと、自主憲法を作る、ともかく全面的な憲法の改正ということを党是にしておられました。他方で、五五年体制で社会党が大変大きな勢力を持っていて、その社会党は、いわゆる護憲、憲法に指一本触れてはならないと、憲法を変えることが戦争への道だと、こういうふうな論理でした。
しかし、先ほど私も申し上げたとおり、憲法というのは、時代や社会の変化に応じて見直すべきことはむしろ当然だと思っています。しかし、ただ変えたらいいんじゃなくて、どう変えていくのかと。現行憲法のどこに問題があるのか、その具体的な方向と必要性を国民の皆さん方にお示しをして、国民とともに、憲法制定権力者は国民ですから、国民とともに議論することが私は大事だと思います。
その点で、少し自民党の憲法改正草案についてお尋ねをしたいんですが、国家は宗教に立ち入らないと、いわゆる政教分離に関してですけれども、この政教分離を定めた憲法二十条の中に、自民党は今度はただし書を置いて、社会的儀礼又は習俗的行為、これについては政教分離の例外にするというふうに書いておられます。
そこで、この社会的儀礼、習俗的行為、これはどのようなものを指すのか、御説明をお願いしたいと思います。』

自民党のこれは草案でございますから、その解釈について、私は今ここに総理大臣として出ておりますので本来はふさわしくないとは思いますが、委員の御質問でございますので、総裁として、自民党総裁としてお答えをさせていただきたいと、このように思います。
そして、先ほど九十六条と言わば中身の関係について御指摘をいただいたんですが、まさに中身を示せ。ですから、まさにそういう議論を私たちもしたかったわけでありまして、我々は中身についてお示しをしておりますのでお答えをさせていただきたいと思いますが、自民党の憲法改正草案の第二十条第三項における社会的儀礼、習俗的行事とは、国等の行為について、社会一般で慣習的に行われている儀式などの行為であって、一般人において宗教的意義が希薄化したものと評価されているものといった意味で用いられているわけであります。

前川氏
『今の定義をお答えいただいても、なかなか例えばテレビを見ておられる方々に意味が通じにくいのではないかなと、こういうふうに思います。
そこで、総理、少し具体的にお聞きをしたいんですが、現在の平和と繁栄を築くために、心ならずも戦地に赴いて、生きて再び故郷へ帰れなかった方々がたくさんいらっしゃいます。これらの戦没者を追悼し、戦争の惨禍に思いを深くする、不戦の誓いを新たにする、そのために総理大臣が靖国神社に参拝をすると、これは宗教的行為に当たるんでしょうか、あるいは社会的儀礼なんでしょうか、それとも習俗的行為なんでしょうか、どれに当たるんでしょうか。』

今委員の御質問は、総理大臣あるいはまた閣僚の靖国参拝においての位置付けだろうと、このように思います。
内閣総理大臣その他の国務大臣の地位である者であっても、私人として信教の自由が保障されていることは委員も御承知のとおりであろうと思います。
これらの者が私人の立場で参拝することはもとより自由であるので、社会的儀礼等に当たるか否かという問題ではないというふうに考えております。

前川氏
『総理、今の憲法で総理大臣が参拝されるのをいいとか悪いとかをお聞きしているのではなくて、新しい憲法が、仮にですよ、仮に自民党の憲法改正草案のとおりできましたと、そのときに、今おっしゃっていただいたような解釈は変わるんですか、変わらないんですかというお尋ねなんです。』

基本的には変わらないということであります。

前川氏
『基本的に変わらないのであれば、この憲法の改正というのは必要ないのではないでしょうか。』

つまり、自民党の改正案の中には字句の整理、あるいは理解しやすくするという意味において改正したものも多々ございますが、これもその中において、言わば誤解等を排除するためのある意味修文なんだろうと、このように思います。

前川氏
『自民党の憲法改正QアンドAというのを拝読させていただきました。そこに、この習俗的行為の例としては地鎮祭が挙げておられます。ただ、この点は、客観的な事実として指摘させていただきたいんですが、戦後の政教分離の議論において、あるいは各種の裁判において、仏教と、あるいはキリスト教と、ほかの宗教と国家との結び付きが問題になったことは私は知りません。常に神社神道と国家との結び付きが議論の対象になってきました。そうであると、この憲法の新しい改正案というのは国家神道との結び付き、これを是認する方向になるのかという疑念、これは正直生じると私は思います。
それで、私も、先ほど申し上げたように、心ならずも戦地に赴いて家族やふるさとを思いながら異国で倒れた方々、戦没者の方々への追悼する気持ち、これは大切にしています。同時に、戦争の惨禍に思いを深くする、そして不戦の誓いを新たにする気持ち、これも大事にしています。
しかし、そのための唯一の方法というのは靖国神社に参拝することなのでしょうか。地域の護国神社に参拝する、あるいはほかの神社に参拝するということもあります。仏教を信心する人たちはお寺でもいいし、キリスト教を信仰する方々は教会でもいいし、あるいは宗教施設でなくてもいいのではないかと、こういうふうに考えているのですが、総理はいかがでしょうか。』

靖国神社が戦争で倒れた英霊の魂を安んじる場として中心的な施設であるわけでありますが、なぜそうであるかということでございます。
御遺族の方はほとんど多くは靖国神社に参拝をされるわけでございますが、そこに行けば、これはやはり、自分の父親にあるいは亡き夫にこれは会えるかもしれない、魂が触れ合うことがあるかもしれないという思いでそこに足を運ぶわけであろうと、このように思います。その中において、多くの方々がそこに足を運んでいるという姿を見て、自分の肉親の死に、ある意味、意味を感じることができることによって自分の気持ちが癒やされるという場になっているんだろうと、このように思うわけでありまして、そこで、確かにこれは人それぞれでございますから、これは全ての御遺族というふうに私は申し上げるつもりは全くございません。そうでない方々も当然おられるんだろうなと、このように思いますが、だからこそ中心的な施設になっているんだろうと。そして、国としては八月十五日に戦没者慰霊祭を武道館で実施をするわけであります。

前川氏
『アメリカの大統領は、大統領に就任する際に聖書に手を置いて宣誓をされます。これに対して例えば世界のイスラムの国が、仏教の国が抗議したという話を私は知りません。しかし、日本の例えば総理が、閣僚が靖国神社へ参拝すると中国や韓国が非難をすると。他国から非難されたら全て唯々諾々と受け入れなければならないという考えは私は全く持っていません。しかし同時に、他国に対する配慮、これも必要でしょうし、過去の日本の歴史を直視する必要もあるだろうと、そういうふうに思っています。
特に今、北朝鮮がミサイル、核開発を進める中で、日本とアメリカと中国、韓国との連携が大切です。拉致の問題ももちろんあります。ところが、今、日本を除いてアメリカ、中国、韓国だけの連携が進んでいるように思えます。これは、客観的には、麻生副総理いらっしゃって申し訳ないんですが、春の例大祭に麻生副総理ら閣僚が参拝したことに反発をして、韓国の外相が日本訪問を取りやめた。この靖国神社参拝が外交問題になったからというふうに考えています。
そこで、先ほどの私の質問です。戦没者を追悼する施設は靖国神社に限らないのではないか、これは私のオリジナルではありません。総理も官房副長官としてかかわっておられた平成十四年、福田官房長官の下で開催された懇談会、ここにおいて取りまとめられた意見書で、国を挙げて追悼、平和祈念を行うための国立の無宗教の恒久的施設を検討してはどうかというふうな結論が書かれています。
私の先ほどの質問は、この福田官房長官の下でまとめられたこの施設、これの建設を今こそ検討するべきではないかと、こういう趣旨で申し上げておりますが、いかがでしょうか。』

閣僚の靖国参拝に対して中国、韓国から非難がなされておりますが、しかし私は、かなりこれは誤解に基づくものが多いと、このように思います。
果たして、では靖国神社が軍国主義の象徴なのか。これは参拝をしていただければ、行っていただければすぐ分かることでありますが、これはまさに、ひたすらこれは英霊の慰霊をする場になっている静かな場であります。しかし、そういう特別な日には多くの方々があそこに押し寄せて騒がしい場所になっていることは大変残念なことではありますが、韓国や中国の方があの場に行って、随分自分の想像とは違うということをおっしゃる人も随分います。私も靖国に参拝をした際に、中国の方々がおられて、安倍さんだとかいって一緒に写真撮ったことがあるんですが、そのときに話をしたら、随分自分たちが想像したものとは違ったということであります。
そこで、追悼施設ということでありますが、私も官房副長官として議論に参加をしておりました。しかし、一つの課題としては、多くの御遺族の方々がどう思われるかということも大変大きなこれは課題なんだろうと思います。確かに、私も総理として海外に行けば、無宗教のそうした施設があって、そこに献花をする場所があります。そうしたものが必要ではないかという問題意識というのは、これはもちろんあるわけでございますが、同時に、多くの御遺族の皆様にとってこういう場所をつくることがどうなのかという、言わば国民的な敬意を集める場所でなければいけないということも議論していく必要があるのではないかと、このように思います。

前川氏
『新たな国立の追悼施設と靖国神社は両立できると、決して靖国神社の存在意義を損なわないというふうにこの福田官房長官の下での懇談会の意見書も取りまとめております。
是非、戦没者の御遺族の皆さん方や靖国神社の方々、あるいは日中韓の問題に憂慮されている方々などは、この意見書、今も官邸のホームページでアップされておりますので御覧をいただいたらと、そういうふうに思います。
もう一度、次に、憲法二十一条、自民党の改正草案の二十一条についてお尋ねをしたいと思います。
ここには、二十一条の二項に「前項の規定にかかわらず、」ということが追加されておりまして、「公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない。」と、こういうふうに書いています。自民党のQ&Aでも、内心の自由はどこまでも自由ですが、それを社会的に表現する段階となれば、一定の制限を受けるのは当然ですというふうに書いています。当然のことだと思います。
そこで、総理、お尋ねしたいんですが、この当然の制限は現行憲法では認められていないんでしょうか。』

それは、最高裁判決、これは平成二年の最高裁判決でありますが、これは、表現活動といえども、絶対無制限に許容されるものではなくて、公共の福祉に反し、表現の自由の限界を逸脱するときには、制限を受けるのはやむを得ないと、こういう判断がございます。

前川氏
『ですから、今総理お答えいただいたとおり、現行憲法であっても、ここに書いてありますが、二十条の信教の自由にしても、表現の自由にしても、人権相互間の調整、すなわち内在的制約を受けるのは当然のことなので、私は改正草案にあえてたけだけしく公共の福祉による制限というのを書き加える必要はないと思っています。
それと、今の日本国憲法を見ていただきたいんですが、二十条も二十一条も公共の福祉による留保はあえて入れていません。公共の福祉による留保はないけれども、十三条が「公共の福祉に反しない限り、」と書いてあって、これが人権相互間の調整、つまりは内在的制約の根拠になっています。
しかし、総理、見ていただいたらと思いますが、二十二条の職業選択の自由、二十九条の財産権、これについてはわざわざその人権条項で公共の福祉という文言が書いています。これは意味のないことかというと、そうじゃなくて、最高裁の昭和五十年四月三十日の大法廷判決もそう言っていますが、福祉国家を実現するためには、つまりは生存権始めとする社会政策を実現するためには、営業の自由であったり財産権に対して内在的制約を超えて政策的な制約を認める必要があると。だから、内在的制約ではありません、政策的な制約を根拠としてわざわざ二十二条、二十九条に公共の福祉という文言を入れた、これが通説なんです。
ですから、自民党の草案の二十一条の二項です。人権条項にわざわざ公共の福祉という文言を入れてしまうと、これは表現の自由に対しても内在的制約を超えて政策的な制約を認めてしまう根拠になってしまうと私は思います。総理が先ほどお話しになったような趣旨でお考えいただいているのであれば、私はこの自民党草案の二十一条二項というのはお考え直しいただく必要があると思います。
それで、申し訳ありません、時間がなくなってまいりましたので、是非、憲法九条についても議論をさせていただきたいと思います。
まず、私も、当然のことですが、自衛隊というのは必要だと思っています。九条もタブーにすることなく改正の対象として議論すると、そして自衛隊を憲法か、あるいは憲法の附属法典、例えばですが、安全保障基本法にきっちりと位置付けておくべきではないかと。そして、その際には、平和主義、戦争はあかんでということ、二つ目には、専守防衛、つまりは他国を侵略しませんと、日本を守るための必要最小限度の戦力しか保持しないと、三つ目には、徴兵制は採用しないと、このことを明記すべきだというふうに私は考えています。
その前提で総理にお尋ねをしたいんです。
自民党の憲法改正草案の中には、国民も国と協力して領土などの保全義務を課しています。国民が果たすべき義務というのは何を指すんですか。』

既に国民の保護法制というものがございます。その際、様々な非常事態において国民の皆様に御協力をいただくということになっているわけでございますが、それを憲法上書いているということで御理解をいただきたいと、このように思います。
また、今いろいろと、いろんな徴兵制等についての御議論もいただきました。まさにこれは九条を変えるということにおいて、我々、これがこのまま、そのまま憲法改正として通るとは全く思っていないわけでございまして、是非……(発言する者あり)これは私たちの、私たちの案として出しているんであって、私たちの案として出しているんであって、三分の二はそんな簡単なことだと思っていませんし、二分の一がそんな簡単なことだとは思っていないんですよ。できる限り多くの人たちに賛成していただきたいという中において、前川委員に、何人か、多くの方々、仲間として賛成していただけるんであればそういう修文の議論にも建設的に私たちは応じていきたい、むしろそういう議論をしていくべきだろうというのが自由民主党の姿勢であるということは申し上げておきたいと思います。

前川氏
『総理、私が心配性なのかもしれませんが、外敵から主権や領土、領空、領海を守っていただくのは自衛隊です。その自衛隊を維持するための経済的な負担、つまりは納税の義務については憲法三十条に既に書いています。金以外のもので領土を守るための協力と、こういうふうに書かれてしまうと、体を出せということなのかと。つまりは、徴兵制に対してこれを道を開くのかというふうな私は危機感を持ってしまいました。そうでないというのであれば御説明をいただきたいと思います。』

基本的に、国民の皆様に苦役を、これを、この表現がいいのかどうかは難しいんですが、を課すということではないわけでありまして、現在、現行憲法で徴兵制ができないという根拠になっているわけでございまして、それは変わらないわけでございますし、そもそも現実問題として、これはもう世界の潮流として徴兵制度を取っている国は極めて少数でございますし、それは、実質的に安全保障上の政策としてもこれは余り合理的ではないというふうに考えているわけでございますし、そもそも我々はそんなことは全く考えていないということは申し上げておきたいと思います。

前川氏
『ただ、総理、これ憲法の議論ですので、時の総理大臣がどう考えておられるというのではなくて、客観的に憲法の文言がどうなっているのかというのが、これから先、百年の議論ですので、私はそちらの方が大事だと思います。
それで、時間がなくなってしまいました。最後に、総理の御発言の中で私は気になるところがあります。それは、例えばこの前の四月十七日の読売新聞のインタビューでも、総理は、憲法を改正したいと、その理由として憲法の制定過程に問題があるんだと、現行憲法は占領軍が作ったと、こういうふうにおっしゃっています。
しかし、私はそれはどうなのかなと、こういうふうに思っています。時間がなくなってきましたので簡単に取りまとめますが、GHQが草案を作りました。しかし、政府も二院制に変更しました。日本で初めて女性が入った普通選挙で衆議院が選ばれて、修正も行われました。貴族院がありました。そして、最後は昭和天皇の裁可を経て今の憲法ができ上がっています。その成り立ちにいつまでもこだわるのではなくて、中身についてもっと議論するべきだということを申し上げて、私の質疑を終わらせていただきます。』

出典:参議院HPの議事録

(私の感想)
またまた長く引用してしまいました。
後半靖国の話も出てきます。

新規作成:2013/10/14
最終更新:2013/10/14