衆議院予算委員会第22号
2013年04月10日
■靖国
(日本維新の会 中山 成彬 氏との質疑中)
私は、総理として外国を訪問いたしますと、その国の無名戦士の墓にお参りをいたします。これは、外交上、相互儀礼と言ってもいいんだろうと思います。国のために戦い、命を落とした人に対して、その御冥福をお祈りする、あるいは尊崇の念を表する、これは、国と国との関係において、いわばその国に対しての敬意を表することにもなっていくんだろうと思います。
先般、モンゴルを訪問した際にも、私は、その地で眠る抑留者、日本人の抑留者の方々の墓地にお参りをさせていただきました。到着した日は晴れていたんですが、ちょうどその日は大雪が降っておりまして、大変な雪の中だったんですが、こういう厳しい寒さと雪の中で抑留者の方々は、いつか帰れるのではないかという希望を抱きながら、無念の思いであの地で亡くなっていったんだろうなという思いの中で、御冥福をお祈りしたところでございます。
例えばアーリントン墓地においても、南北戦争の兵士たちも眠っているわけであります。南軍も北軍も眠っている。しかし、大統領はそこにお参りに行かれる。南軍の掲げた、奴隷制度を維持しようとした南軍の兵士たちも眠っている。しかし、この奴隷制度というものを肯定して大統領は行くわけではないんです。ただ、そこには、国のために死んだ、亡くなった魂があるのみでありまして、その崇高な魂に対して尊崇の念を表する、これは当然義務と考えて恐らく行かれるんだろうな、こう思う次第でございます。
まさに、さきの大戦においては、靖国で会おうということを合い言葉に多くの兵士たちが散っていったわけでございまして、御遺族の方々も、あそこに行けばお父さんに、あるいは主人に会えるかもしれないという思いで、あの場に行かれるわけであります。
私も、指導者として当然、尊崇の念を表することは、ある意味、国際的にも当たり前のことなんだろう、このように思うところでございます。
出典:衆議院HPの議事録
(私の感想)
靖国神社の唯一の目的は「国家のために一命を捧げられた方々を慰霊顕彰すること」とされています。(靖国神社のHPより)
理由がどうあれ、かつて日本は近隣諸国を侵略し、数多くの命を奪いました。
殺された側、すなわち侵略された側から見たとき、
侵略した側の兵士、指導者が「国家のために一命を捧げ」たとして「慰霊顕彰」されている神社へ国の指導者が参拝する、ということがどのように見えるのか?
一方、侵略の事実についてはウヤムヤ、いやむしろ否定しようとすらしている。
かつての誤りを謝罪するという「国際的にも当たり前」のことすらせず、靖国神社へ参拝する首相の姿が"仮に"あったとすれば、殺された側から非難されるのは当然のことです。
戦犯を分祀するという議論もありますが、その前に、かつて日本が何をしてきたのか?どれだけの人を殺し、殺されてきたのか?
それを真摯に見つめ直し、次世代へ伝え、二度と過ちを繰り返さないという決意を示す場所こそ必要だと思います。
新規作成:2013/09/25
最終更新:2013/09/25
(旧ブログ初掲載:2013/06/09)